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津市を代表する老舗洋食店『東洋軒』=津市丸之内=が所蔵するオールドノリタケのデザート皿「色絵花文皿」と「色絵文絵替皿」には、洋食の歴史を物語るドラマが秘められている。この皿は明日6日放送のNHKの教養番組「美の壺」でも紹介される予定で、店頭で記念展示も行う。
看板メニューのブラックカレーで広く知られる『東洋軒』。昨年には、東京都港区元赤坂に「東京東洋軒」をオープン。同店はオープンから間もなく「ミシュランガイド東京2015」にも掲載されるなど、国内外で高い評価を受けている。
明日放送のNHKのBSプレミアムの教養番組「美の壺」の『明治、華麗なる陶磁器』の中でオールドノリタケの代表的な作品として紹介されることとなったデザート皿「色絵花文皿」と「色絵文絵替皿」がなぜ、津市の東洋軒
が所蔵しているのかを語るには、洋食文化の歴史をひも解く必要がある。
明治時代。産業革命を背景に世界を股に掛けた植民地獲得を目論む欧米諸国にとって当時の日本は、極東の小さな島国という認識に過ぎなかった。黒船来航以来、長い鎖国政策から転換を余儀なくされた日本で、時の明治政府は、西洋文化を吸収しながら、経済と産業を急速に発展させてきた。とりわけ料理は、その国の文化レベルの高さを示す指標であり、特に西洋料理による国賓の歓待は、外交上においても非常に重要な意味合いを持っていた。
そんな時代背景の中、明治22年(1889年)、東京三田に伊藤耕之進が伊藤博文らの勧めでオープンしたのが西洋料理店「東洋軒」。今年TBS系で放送されたドラマ『天皇の料理番』のモデルとなった秋山徳蔵は東洋軒の3代目料理長であったことは広く知られているが、その他にも料理界の重鎮を多数輩出。宮内省(当時)御用達として宮中で行われている晩餐会の料理を担当するなど、日本の洋食の歴史に大きな足跡を残している。
今回の皿は、その東洋軒が、日本陶器合名会社(現ノリタケカンパニーリミテド)に大正元年(1912年)~昭和15年(1940年)にかけて特注でつくらせたもの。同社は国産の洋風陶磁器を製造し、それを陶器商社の森村組が輸出。欧米で絶大な人気を博していた。その中でも、この皿のように明治から戦前にかけてつくられたものはオールドノリタケと呼ばれ、その美しい姿で今日でも多くの愛好家たちを魅了し続けている。
西洋料理を日本で手に入る食材で日本人の舌に合うよう創意工夫を重ねる内に生まれたのが、日本独自の食文化である洋食。その成立と国産洋食器の国内への普及は密接に係わっており、両者は磨き合うように、互いを発展させていった。
東洋軒所蔵の「色絵花文皿」と「色絵文絵替皿」は全て職人による手描きで花や果物が鮮やかに描かれており、当時の技術水準の高さが一目で分かる逸品。パーティーなどの出張料理で使われていたため、「色絵文絵替皿」は1ダース1セットで当時つくられた木箱に収められている。昭和11年(1936年)の国会議事堂竣工式のパーティーを始め、数々の華やかな舞台を彩ってきた。
津の東洋軒は、稀代の風流人として知られる川喜田半泥子が東洋軒の味に惚れ込み熱心な説得の上、昭和3年(1928年)に出張所としてオープン。後に全国で唯一正式にのれん分けを受け独立。初代の猪俣重勝氏から2代で現会長の重信氏、3代で現社長の憲一氏と約90年にわたり、味と伝統を守り続けてきた。
東京の東洋軒は十数年前に閉店。その歴史の幕を閉じていたが、津の東洋軒の東京進出をきっかけに、猪俣社長と東京の東洋軒の元オーナーとの親交が深まった。その中で、東洋軒の歴史と味を正統に受け継ぐ証の一つとして贈られたのがこの皿という訳だ。
元はのれん分けされた津の東洋軒が、人々に愛されながら約90年の時を重ねる中で成熟。再びルーツである東京へと戻り、本流として伝統を受け継いだことは、日本の洋食文化史の中でも大きな出来事といえる。その象徴ともいえる皿が津市にあることは、津市民の文化レベルの高さの裏付けでもある。
6日19時半よりBSプレミアムで放送される番組の中で、どのように紹介されるかが楽しみだ。再放送は10日11時~、12日6時半~。
東洋軒では、10日~29日、番組放送を記念し、本店の店頭で皿や銀食器の展示を行う。
問い合わせは☎059・225・2882へ。
2015年11月5日 AM 5:00
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