加藤賢治代表取締役社長

加藤賢治代表取締役社長

──創業100周年おめでとうございます。まず、御社の事業について教えて下さい。
加藤社長 当社の事業は大きく2つあり、1つは作業工具及び配管用機器の開発・製造。我々はこれを「工機器事業」と呼んでいます。この事業の商品は、建設・土木・上下水やガス・電気・工場設備などの工事の現場で働く職人さんが主に使用する工具、機器類です。ほぼ全て当社で開発・設計し、自社とグループ会社で製造しております。
もう1つは工作機械周辺機器の設計・製作で、我々は「精機事業」と呼んでいます。主な商品は、マシニングセンタという工作機械の中に部品を取り付けるための「治具」という装置です。それに加え、(生産する製品が)求められる精度や品質になるよう、装置全体をセットアップしてマシニングセンタのボタンを押すだけで、すぐに製作開始できる「ターンキー」といわれるサービスも行っています。
──工具が上下水などインフラ工事に使われるということは、御社は一般の人々の生活にも間接的にですが大きく貢献しているのですね。会社を100年も続けて来られた理由を、どのようにお考えですか?
加藤社長 理由の1つは社訓である「創造」「実践」「品格」の3つを大事にして受け継ぎ、社員全員が頭に入れて守ろうと努力していることだと思います。

雲出工場で熟練工により行われる鍛造作業

雲出工場で熟練工により行われる鍛造作業

雲出工場で熟練工により行われる鍛造作業

雲出工場で熟練工により行われる鍛造作業

それからやはり、お客様を大事にしていることと信用を大切にしていること、製造業なので品質を重視していることです。昔は、当社の近辺に部品製造業の会社が少なかったため、全て(の生産工程を)自前でやらないといけない環境でした。そのことが一貫生産体制へと繋がり、そこからモノづくりへのこだわりが社内に生まれてきたのではないかと思います。
また、市場の声を聴き、困っている事を解決できる商品を生み出そうという努力を続けてきました。
社訓やモノづくりへのこだわりといった伝統的なものと、新商品づくりや新分野への進出という革新的な取り組みとのバランスが丁度良かったのかなと思います。
──100年の歴史の中で会社にとってターニングポイントとなった出来事を教えて下さい。
加藤社長 2つあり、1つは昔、国内で流通する作業工具は主に輸入品だったのですが、それを国産化、製造していた状態から、世界に存在していない全く新しいオリジナル工具を、自分達で開発して製造・販売するようになっていったことです。
また、製造設備の一部は、製造するパーツに合わせ、自分達でつくり上げています。以前は、自分達が得意とするこの技術を社内でしか活用していなかったのですが、社会で何とか役立てることはできないかと考え、30年程前、工作機械周辺機器事業に進出しました。
そして試行錯誤を続けた結果、この事業が軌道に乗ったのが、もう1つのターニングポイントです。
自分達でやらなければいけないという環境で、何とかしようともがく中で、レベルアップができてきたのだと思います。
(次号に続く)

       ㈱松阪鉄工所の歴史と技術を一部紹介

『㈱松阪鉄工所』の100年に及ぶ歴史や技術の一部を紹介。
安西製鉄所から創業
同社の創業は1916年11月。初代社長・安西友吉氏が、松阪市で「安西鋳造所」を創設した。
その後、1967年、本社工場を現在地に移転。拠点は、ほかに津市雲出長常町の雲出工場(鍛造工場)がある。
加藤賢治社長は5代目で2014年10月、現職に就任した。社員は現在、約200名、平均年齢は42~43歳。

作業工具の製造
1928年、パイプレンチ(パイプを回すためのレンチ)・ボルトクリッパ(鋼材などを切断するためのカッター)を日本で初めて生産して以来、一貫生産体制で数々の革新的な作業工具を製造。現在では、約50ケ国に輸出している。
こだわりのものづくり
自社で商品開発をし、商品の部品の型を製造。その型に約1200度に熱した材料を載せ、ハンマーで鍛造し成形していく。
素材の金属は融点(約1500~1600度)に近づくほど、柔らかくなるので加工は簡単になる反面、仕上がりが脆くなる。
そこで同社は、高い技術力を持った熟練工が絶妙な温度管理をしながら、硬さを保った状態の鉄を加工。その後も入念な表面処理を実施する。
こうしてつくられるボルトクリッパは、廉価な海外製品などとは一線を画する耐久性や抜群の切れ味を実現し、ミリオンセラーとなった。その技術力の高さは、同業者も唸るほど。