二〇二〇年に再び日本でオリンピックが開催されます。前回は一九六四年でしたから、半世紀余りの間をおいての開催ということになります。
一九六四年を振り返ると、今ではおなじみになっているお菓子や雑誌が登場し、「明日があるさ」「幸せなら手をたたこう」「アンコ椿は恋の花」「柔」などの歌がヒットし、ビートルズやボブ・ディランが世界的に活躍しています。
そして、戦後の混乱の中から新しく生まれた日本の教育が、今のような学校制度や内容にようやく落ち着いたのもそのころでした。
前回の東京オリンピックのあと、間もなくして当時のソビエト連邦が人間の乗った宇宙船を飛ばして世界に衝撃を与え、アメリカなどと同じように、日本も教育改革を行いました。
その改革は、知識や技能の重視で、学ぶべきことがぎっしりと詰め込まれました。今の年齢で四十歳から六十歳を中心とした人たちが、いわゆる「詰め込み教育」時代に学校に通っていたことになります。
その後、文部科学省は、過度の知識偏重からの転換を少しずつ始めます。そして生まれたのが「ゆとり教育」時代となります。今の年齢で言えば、二十歳から三十歳の人たちが中心でしょうか。土曜日が休み、「総合的な学習の時間」、「生活科」などを実際に児童や生徒として経験してきた人たちの世代です。
この「ゆとり教育」は、賛否両論がずっとあった上に、実際には大学や高校への進学にはそれまでと変わらない知識偏重の学力が必要とされていたために、学校で「ゆとり」を持たされた分だけ学校外で受験勉強などをしなければならない、という皮肉な負担を子どもや保護者たちに強いるものとなりました。
さらに追い打ちをかけるように、ピサ(PISA)と呼ばれる国際的な学力調査で、日本が相当に順位を落としたことが決定的なものとなり、ふたたび知識や技能を学校で身に着けさせる方向で教育改革が行われました。
そのために、気の毒なことに「ゆとり教育」世代の人たちは、国の政策によってそのような学習内容で成長したにもかかわらず、「自己責任」という言葉を押し付けられて、子どもも保護者も相当に大変な想いや不当な評価に苦しむことになってしまいました。
二〇一一年から、小学校でも英語を授業で取り上げることが話題となった新しい教育改革が本格的に始まり、教育内容は増えるけれども全体の授業時間はそれほど増えないという、子どもたちにも教員にも負担の多い学校の状態になってしまいました。
こうなってくると、これまでは問題点をなんとか修正してきた教育制度も、いよいよ根本的に見直さなければ、きちんとその役割を果たせなくなり、そのことに対してのいろんな立場からの心配もはっきりと出されるようになりました。
戦後の歴史的な移り変わりをバランスよく盛り込みながら、教育制度を根本的に見直さなければならない、というのが、これから目に見えてくる文部科学省の強い考えによる教育改革です。
そこで改革される主なものは、大学入試制度、大学の授業、高校の授業、地域と学校の関係などです。
そのほとんどが、既に基本的な改革の目標と道筋が定められていて、早いものはもう今年にも多くの人が何かを感じ始める、というところまで来ています。
そして、この改革が、誰の目にもはっきりするのが、次の東京オリンピック、つまり二〇二〇年のころ、ということになります。
今回の改革が直接に大きく関係するのは、今年中学校に入学した生徒から下の学年、今の小学生の子どもたちということになります。
もちろん、大学の授業改革は既に本格的な取り組みが始まっていますから、今の大学生も、来年に大学に進学する人たちも、この改革と無縁ではありません。また、高校の授業改革もこれから具体的になりますから、今の高校生や中学生もすぐに何かを感じることになるでしょう。ところが、「詰め込み教育」の世代を祖父母に持ち、「ゆとり教育」世代が保護者になる今の小学生たちは、どうなのでしょうか。本人たちはまだ小学生ですし、ご家族の方々も、大学や高校の進学などはまだまだ先のことだからと、関心や興味を持っている方は多くはないのではないでしょうか。
ひょっとすると、これから教育制度が改革されることさえまだ知らない方も多くいるかも知れません。
それでも、これからの教育改革が、もっとも直接に身の上に降りかかるのは、今の小学生たちなのです。保育園や幼稚園の子どもたちが、高校や大学へ進学するころには、今までとはかなり違った入学テストが行われていると想像する方が、「自己責任」という言葉で子どもたちや保護者のみなさんが苦しまなくてもすむと私は思います。
子どもたちは未来を背負い創造する大切な存在です。次回から具体的なお話をします。
(伊東教育研究所)

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