2016年6月

辺り一面に咲き乱れるあじさいの花

辺り一面に咲き乱れるあじさいの花

津市戸木町の伊勢温泉ゴルフクラブ内にある福祉と環境を融合した花園「かざはやの里」で恒例の『あじさいまつり』が開かれ、見頃を迎えている。
老人福祉施設や障害者福祉施設を運営する正寿会が平成16年に同ゴルフクラブの約半分の土地を改造して作った同施設には、アジサイ56種7万5千株が植えられている。
花園の管理は、同会が運営する障害者施設の職員や利用者たちが行っており、オフシーズンには株をネットで覆ってシカの食害からアジサイを守りながら、枝の剪定や草刈りなどに取り組んできた。
青・赤・白と色ととりどりの花が視界いっぱいに咲き乱れる光景は圧巻で、遅咲きの品種まで期間いっぱい楽しめる。期間中はスタンプラリーなど常時開催イベントのほか、土日にはライブなど様々な催しも実施する。11日(土)11時~15時・「癒しの音楽の日」…生演奏。12日(日)10時~16時・「藤堂高虎を偲んで~」…クイズや太鼓演奏。このほか、キッチンカーなど盛りだくさんの内容。19日(日)10時~15時には、かざはやの里のあじさいと2016年度津クイーン撮影会も。
入場には利用者たちへ支援費として300円が必要(18歳未満や障害者手帳を持っている人は無料)。開園は10時~17時。問い合わせ☎津255・5755。

時代を継ぐ事は人を作り、文化を作る事です。津藩祖藤堂高虎は徳川家康に信頼され、関ヶ原戦の後に伊賀、伊勢の地を任され、〝絶対に国替えはしない〟というお墨付きをもらい、子孫繁栄と領民の平安を願った人でありました。この時代はいかに藩を存続させていくかが大きな課題でした。養子の高吉(丹羽長秀の三番目の子)は名張宮内家祖となり、高虎の嫡子高次が津藩を継ぎ、その長男高久を第三代藩主に、次男高通を分家(久居藩)にしました。しかし高虎の直系は第五代高敏、分家久居藩は第三代高陳で絶えてしまいます。
そして高虎の異母弟出雲家高清の四代目高明の末子高治が第六代津藩主となり継がれていきます。名張騒動、享保改革、寛政改革、寛政一揆などの世の流れを受けながらも、文化藩になるように各藩主は力を注いでいます。藩主は大変です。大名行列の莫大な出費、飢饉では領民救済をし、又、文化への心くばりをも行います。
やがて名君といわれた第十代藩主高兌の出現です。安永十年(1780)四月二日に生まれ、十歳の時に久居藩を、二十五歳で宗家津藩を継ぎました。久居藩の時の経験を活かして、倹約・民風の取締り・植林・養蚕等を推め、高齢者の表彰や年貢の一部の米・金銭の積み立ての義倉法を実施しています。高兌は幼い頃から教育係の鈴木新兵衛重明にしっかりとしつけられており、やがて教育熱心な藩主になり、地方文化の花を咲かせて功績を残しています。
人づくりとは人格形成し、心を養い、知恵と知識を持つ人材教育をして、先見力を持つことですね。高兌は津に藩士の子の為に有造館を、伊賀には崇広堂を建てます。領民の子供らには寺子屋を奨励しています。有造館の建物の木材は千歳山(藩主の山荘地)から木を伐り出し、その後この地を領民の憩いの遊園地としています。また、妹弟に負担させずに自ら一人倹約してその費用の一部を建築費にしています。「有造館」の名前は儒教の経典『詩経』の「小子有造」の言葉からとり、額字を第八代水戸藩主徳川斉修に揮毫してもらっています。藩校の経営は特別会計として田地約2600石を設けるという彼の教育への熱意がわかります。今はNTTの会社が建っており「有造館跡地」の碑があるのみです。195年前にこの地の約四千坪の敷地に演武場、文教場や講堂、養正寮などが建っており、かつては若者の熱い声が飛び交っていたことでしょう。
督学(校長)の初代は漢学者津坂東陽で「洞津竹枝」を著し、第三代目斎藤拙堂は藩の人材育成に力を入れ、世に測量技術者の柳楢悦や写真術の堀江鍬次郎を送り出し、自らは「月瀬紀勝」「伊勢国史略」など多数の著書を表しています。五代目土井有格の弟子の平松楽斎(草奉行と称される)は天保飢饉の時に粥を作り、その作り方の本「草の実記」「食草便覧」に書いたりして救済しています。
明治四年(1872)の廃藩置県で約五十年間の藩校は廃止。その後はこの藩校の校風は受け継がれて津市の学校教育の原点となっています。
高兌は人を愛し、地方文化を更に高め、一番大切な事は〝人には教育だ〟とした人で、藩祖高虎の家訓の「仁義礼知信一もかけては諸道成就不可成事」の考え方を守り、日本の道徳教育を推進しています。江戸藩邸で四十三歳の生涯を閉じましたが、その時の領民の嘆きはすごく、灯が消えたかのようになったといわれています。
現代の日本人の生活はこの道徳教育が受け継がれています。皆が明るく楽しい日々を過ごせる社会であれと願っています。(全国歴史研究会・三重歴史研究会・ときめき高虎会会員)

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津市白山町上ノ村の「天台真盛宗中本山成願寺」=西山眞澄住職=で、5月15日~7月1日まで、「平成阿弥陀如来倚像(俗称・腰掛の弥陀)開眼法要」として『四十八日念佛会』が開かれている。
同寺の宝物殿には、国指定重要文化財の「阿弥陀如来倚像」が安置されている。この像は典型的な鎌倉仏で、高さ41・5㎝で頭は螺髪、蓮華台に腰を掛けた珍しい仏像。宗祖で、同寺の開基である真盛上人の念持仏だったと言われ、現在も成願寺の檀信徒の宝である。しかし、警報装置の電源を切って解錠し、重い扉を開く過程を経なければ拝むことができない。

72時間行われた「中日不断念佛会」で「南無阿弥陀仏」を唱える参拝者達

72時間行われた「中日不断念佛会」で「南無阿弥陀仏」を唱える参拝者達

そこで同寺では、少なくとも檀信徒にもっと気軽に拝んでもらえるようにと、実物の3分の2の大きさの「平成阿弥陀如来倚像」を造立。約1年間奉安し、このほど開眼のため、「四十八日念佛会」を行うこととなった。
「四十八日念佛会」は真盛上人の教えにある「別時念佛」の一つ。同寺では520年程前に建立され、本堂の落慶法要などとしてこの念佛会が行われたが、その後行われたという記録はないため、今回の開催は、おそらく約520年ぶりだという。
そして今回の念佛会は「念佛行」という修行でもあり、宗旨・宗派や僧俗、老若男女などを問わず誰でも参加可能。
6月2日~5日には法要の一環として、72時間にわたり、夜通しで念佛を唱え続ける「中日不断念佛会」が行われた。また、この期間中は境内の勅使門が約20年ぶりに開かれた。
3日の午前中には団体の参拝者が訪れ、勅使門をくぐって、開帳された「阿弥陀如来倚像」を拝観。その後、中日不断念佛会で、導師のもと集中して「南無阿弥陀仏」を唱えた。
西山住職は、「予想以上にお参りに来て頂く方が多く、法要を行ってよかったと思います。平成阿弥陀如来倚像は真新しいだけに、今の時代の人の思いを込めて頂ければと思います」と話している。
なお、明日10日14時~、本堂で「恵心僧都源信和尚一千年忌法要」が行われる。

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