三重県の近代史では三大実業家(真珠王の御木本幸吉、電気会社の設立と風景保護を訴えた田中善助、オブラート発明の小林政太郎)をあげることができます。オブラートの言葉は今や世界の誰もが知っています。
私は友人と共に伊勢街道と熊野街道の交わる地、田丸にある小林政太郎さんの生誕地を訪ねました。ブザーを鳴らすとご婦人が急に訪ねた私達に笑顔で快く応対して下さいました。築二百年以上の威厳のあるお家です。部屋には政太郎氏の写真やその傍には親族の矢土勝之氏(伊藤博文の側近で知恵袋・漢学者)の書が飾ってあります。ご婦人の平岡昭子さんは小林政太郎氏の孫にあたり、彼の事を懐かしそうに語って下さり、更に後日には昭子さんの弟、厚さんから電話をいただき、私にとって小林政太郎氏が一段と身近に感じました。
この小林政太郎の生まれた明治期は多くの文学者(森鴎外、夏目漱石、坪内逍遥等々)が現れています。田丸には小林政太郎、新聞王村山龍平(朝日新聞創始者)の出現があります。さしづめ松阪が商人の町なら田丸は学者の町といえましょう。
「その言葉をオブラートに包んだ言い方にしてなあ」と、今や慣用句になっています。ものの言い回しをソフトにぼかして言う時に使われています。オブラートは澱粉などで作られた薄い膜状の物で、水に溶けやすく、にがい薬を飲む時に苦さを感じさせなくするのに使われました。今は薬だけでなく、キャラメルやゼリーのお菓子、入歯固定、オブラートパック等に使用されています。オブラートの語源はラテン語のオブラトウス(楕円形)からきたもので、その形は今も残っています。
オブラートはかつてドイツのキリスト教のミサの儀式に使われたウエハウスに似た硬質オブラート(丸い聖餅)で、明治初期に日本に輸入されたのですが、水に溶かして飲むせんべいオブラートは庶民には高値の花です。
親や人を想う心がもっと簡単に飲める柔軟オブラートを発明しました。三重県の医師、小林政太郎が研究を重ね、商品化したのです。
小林政太郎(1872・明治五年十一月二十二日~1947・昭和二十二年十二月六日・七十五歳没)は度会郡田丸(現玉城町)の医師小林藤十郎の長男として生まれ、十五歳で(現日本医科大学)に入学。十七歳で医師開業試験に合格し、埼玉県の病院勤務を経て二十一歳の時郷里の田丸で開業しました。患者が薬をつらそうに飲んでいるので何とか楽に飲める方法はないものかと研究を始めていました。明治三十五年(1902)三十歳のある日、鉄瓶を使ってでんぷん質と寒天を入れて実験をしていた時に、ふきこぼれた薄い膜状の固まりを見たのです。柔軟オブラート(食べられる紙)の発明です。
彼は特許を得て会社を設立し、オブラートの製造を現玉城病院地で開始し、更にイギリス・ドイツ・フランスでも特許を取り、日英万博や博覧会で受賞をしています。彼の発明した柔軟オブラートは世界中に広がりました。更に大正二年(1913)四十一歳の時には「自動汽力製造装置」を考案し、品質改良、量産化に成功しています。彼は全般的な治療を行っていたので年寄りや子供の患者は薬を飲む時、安心感で笑顔になったことでしょう。地元への貢献度がわかりますね。
時は流れ、今も根強いファンがいます。オブラートに包まれたお菓子を手にすると懐かしさが感じられるのは私だけでしょうか。
発想、努力はすばらしい歴史を作ります。オブラートは「薬」も「言葉」もやさしく包む込み、皆を笑顔にしてくれます。人を想うという気持ちは“ほわあー”と心身が温まり、嬉しくなり、オブラートに包まれた飴のような感じになりますよね。
(全国歴史研究会、三重歴史研究会、ときめき高虎会会員)