2016年9月

MIZUKIさんの「パステル&色鉛筆アート」

MIZUKIさんの「パステル&色鉛筆アート」

「つくりびと展・九─あゆむ─」が29日(木)~10月2日(日)9時~17時(初日は11時から、最終日は16時まで)、津市久居本町の有形文化財「油正ホール」で開かれる。
今回は、新メンバーとして1万人以上の笑顔を描いてきた「似顔絵」、丁寧な仕事でオリジナルな製品を作る「革製品」、繊細な手描きで茶器などの絵付けをする「チャイナペイント」の三名の作家を迎え、過去展からは天使をモチーフとした夢あふれる世界を描く「パステル&色鉛筆アート」、オリジナル性で定評ある「陶芸」、大人な色合いが人気の「トールペイント」、砂を吹き付けて描く立体的な「サンドブラストアート」、趣味で撮影している野鳥や馬の写真をもとに作成した切り絵を中心とした「鳥&馬ART」、ビーズを使いながらも高度なテクニックで繊細で豪華な「コスチュームジュエリー」、自然の草木から布を染める「Natural Handmaid」、フランス伝統工芸の布を張って箱を拵える「カルトナージュ」、オイルパステルを使い指だけで柔らかな絵を描く「チョークアート」、作品本紙を活かすことが役割の「表装」と、よりバラエティーに富んだ20代~60代の幅広い年代層の作家13名が出展。
入場無料。問い合わせは松尾表具店☎059・293・0175。

寄附者延べ1万人目です

寄附者延べ1万人目です

9月11日、津城復元資金づくりへの寄附者が延べ1万人・件を超えた。
平成26年元旦より津市がふるさと納税「ふるさと津かがやき寄附」の寄附使途項目に「津城跡の整備」を新設、この項目に寄せられた寄附金を津城復元の資金とすると表明したことを受け、同年3月に津城復元の会(西田久光会長)が結成された。
同会では2007年に県庁から発見された本丸建物の図面をもとに、第1期工事として北面石垣上に、城郭・寺社建築の権威である三浦正幸広島大学大学院教授が、10万石格の大名の天守に相当すると指摘する三重櫓(東西2棟)と両櫓をつなぐ多門櫓(長屋)の復元を目指す。市内外の人へのふるさと納税への寄附募集や協力店への募金箱設置、松菱店内での月例募金、津観音や高田本山、津新町、津駅前など催事での募金のほか資金造成ライブ、ゴルフコンペなどを行い募金活動を進めている。
三浦教授の建築工費概算は6億円だが、同会では募金の第一次目標として、金額では1億円、人数・件数では1万人を掲げている。
寄附金管理を行っている市財政課の8月末寄附実績によると、ふるさと納税が355件、1266万9069円、津城復元の会に関わる街頭・店舗募金・資金造成イベントなどが延べ9613人・件、404万2422円。合計1671万1491円、延べ9968人・件。
これに加え、同会が10日に行った松菱での月例店内募金(23名・1万5348円)、11日の第22回岩田川ハゼ釣り大会での会場募金(14名・9700円)で、1万5名・1673万6539円となり、第1次目標のうち人数の1万人・件を突破した。
同会では「平成18年に誕生した現在の津市のシンボルづくりとして津城復元運動に取り組んでいますが、みんなのお城とするには、一人でも多くの方や企業・団体から浄財を寄せて頂き資金づくりに参加して頂くことが最も重要だと考えています。延べ1万人超えで元気を頂きました。さらに2万人を目指して頑張ります」と喜んでいる。

いつの間にか日暮れも早くなり、高い空と秋雲が美しい季節になりました。周りを見渡せば吹き抜ける風の音、虫の声、月の光、さまざまな自然の営みが秋の気配を感じさせてくれます。
今回は秋の小唄の名曲をご紹介いたします。

月は田毎に

月は田毎に映れども 誠 の影はただ一つ
往き交う雲が邪魔をする
実にうたてき秋の空
この唄は明治後期、三世清元順三が晩年に作りました代表的な名曲です。順三は大阪の富豪藤田伝三郎家にあった衝立の貼り交ぜの和歌に眼をとめ、これを小唄風な文句に補筆して、田毎の月を思い、作詞したものと思われます。
田毎の月というのは、山の山腹などの段々畑になっている、稲を刈り取った後の田の水に、一つづつ映る月影のことで、昔から信州あたりの田毎の月は、景勝地でよく知られております。
この小唄は、田毎の月によせて自分の心を唄ったもので、秋の月夜は、幾段にもなっている田毎に、月影を映しているけれど、真実の月は、ただ一つしかないという真心をあらわしたものです。行き交う雲が邪魔をして、なかなか名月を見る事ができない、何とまぁままならぬ秋の空でしょうと嘆いてこの唄を結んでおります。
曲も田毎の月の美しさを表現しようと、六下りというしめやかな調をとり、皎々と照る田毎の月と、雲の感じをしっとりと表現した名曲になっております。
次にご照会いたします小唄は、明治期の江戸小唄でございます。
ちょいと出るにも 結城 の着物
矢立さして前垂れしめて 急ぎ足
帯は博多に柾の下駄、オ ヤ乙だね

この唄は、明治前期、日本橋あたりの、商家の若旦那の渋好みの粋な姿を唄っております。この乙だねは江戸時代から明治にかけての流行語で、渋味を持ったことを乙であるというようになったのです。
結城は茨城県結城地方で織られている絹織物で江戸末期から明治にかけて、盛んに喜ばれた着物です。矢立とは墨壺の柄に筆をはめて、帯にはさむ様になったものです。前垂れは、古くから商人の目印で、男女とも帯から垂らしたもので、元来衣服を汚さないためのものでしたが、のちに高級な布地を用いる様になりました。博多帯は福岡県筑前で織り出したもので、明治期まで流行した高級帯地のことです。柾の下駄は桐の木理のことで、柾目の通った下駄のことをいいます。
この小唄は一分半位の短い曲で作詞も素直で、節付も粋。
「乙だね」の唄い方次第で、渋味をもった軽妙な洒落た江戸小唄の味が生きてまいります。

小唄 土筆派家元  土 筆  栄

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