生活保護制度を利用する前の生活困窮者に食料支援を行うNPO法人『フードバンク三重』=中川美佐理事長、津市中河原=が設立された。家庭での不用品や、企業・農家の規格外品などの提供を受け、食料を求める生活困窮者に届けるサービスを実施。福祉サービスの隙間を担う非常に有意義な役割を果たすだけでなく、今後の展望も期待される。

 

前葉市長(右二人目)を表敬訪問した中川理事長(左二人目)と理事

前葉市長(右二人目)を表敬訪問した中川理事長(左二人目)と理事

アメリカで始まったフードバンク事業は、食品メーカーや外食産業などの取り扱う商品で品質に問題はないが、包装の不備などで廃棄となってしまう食料の提供を受け、生活困窮者の支援を行うというもの。近年日本でも同様の活動が広がりを見せており、各県で支援が広がっている。昨年4月には生活保護制度を利用する前の段階の人々が対象の「生活困窮者自立支援法」が施行され、一時的な住居確保に必要な給付金支援などは行われているが食料を直接提供する支援は無かったため、福祉制度の隙間を担うという意味でも大きな意義を持つといえる。
そのような社会的背景もある中で、先月11日に設立されたのが「フードバンク三重」。県内では三重県社会福祉協議会が愛知県のフードバンク事業を行う団体から食料の提供を受け、生活困窮者に対する支援を行っており、これまでも県内各地で様々な団体が、それぞれの活動に則した形でフードバンク事業またはそれに準じた形で事業を行っている。そんな中で「フードバンク三重」は、県内の企業・個人から食料の寄付を受け、それを県内の生活困窮者に届けるまで自己完結した事業をめざす。
1月27日には中川理事長らが津市役所の前葉泰幸市長を表敬訪問。法人の設立と今後の活動について報告を行った。前葉市長も県内初となる取り組みに大きな期待を寄せ、生活困窮者に対する相談業務を行っている市役所の援護課でも、必要がある対象者には同法人を通じた支援を紹介していくとしている。
この時の様子が報道された反響で、個人や農家から食料を寄付をしたいという問い合わせが増加。米120kgを始め、野菜やそうめんといった食料が寄せられた。中には、名前も告げずに三重フードバンク事務所に食料を置いて去る人もいたという。それら食料を問い合わせのあった生活困窮者の下へ届けた。
しかし、利用する側である生活困窮者が食料の提供を受けることへの躊躇いもまだまだあることを実感している。中川理事長は「困っている場合は完全に食べる物が無くなってしまう前に迷わず連絡して欲しい」と話している。
同法人では、フードバンク事業の運営を軸に、食を大切にする文化の啓発や、フードバンク活動普及のための調査研究なども行っていくとしており、中川理事長は「寄付して頂いた食べ物を、別の形で支援活動を行いたい団体に提供することができるので、タイアップしていきたい」と今後の展望についても語る。
飽食の時代といわれ、食品の廃棄が大きな問題となる一方、その日の食べものに不足する人も多い。フードバンク事業は寄付する側にとっても処理費用削減と社会貢献の両立ができるだけでなく、社会問題解決の一助ともなる非常に有意義なものといえる。
同法人が、募集しているのは米・野菜・果物などの生鮮食品や、未開封で賞味期限が切れていない缶詰・冷凍食品など。同法人に連絡をすれば、回収に来てくれる。また、食料の支援を受けたい場合も同法人に連絡すれば、出来る限り早く自宅まで届けてくれる。
さらに、津市中河原2129─1の同法人事務所でも寄付・受け取り共に可能。タイアップ希望の団体も募集している。まずは津市周辺を中心に活動していく予定。
問い合わせは同法人☎070・1610・1008へ。(平日9時~17時)

 

教育改革のことを、何人かの子どもたちの実際の姿を見ながらずっと考えています。
今の私の周辺にいる子どもたちは、それぞれが異なる教育環境にあり、どの子どもにも未来への可能性と現状の課題が見えています。そういう子どもたちを、私は教員時代にもまして切実に、その子の将来のことを思うようになっています。私に姿を見せてくれる子どもたちは、日本全体からすればは氷山の一角にも足りないことは承知しています。ただし、報道される事件や事象を含めると、やはりそこには世代としての共通性があるのは確かなようです。私の周辺の子どもの具体例は、個人情報になるのでここに書きませんし、個人で努力している教職員も確かにいますが、今の学校は、組織としても、機能としても、子ども一人ひとりを真に大切にできる状況にはないように感じざるを得ません。
私は元教員なので、子どもたちから聞かされる「先生」や「学校」の話は、その裏側が透けて見えてしまうことも少なくありません。学校というものが、子どもや保護者の方をどのように扱うかは、それほど進歩もなく、ほとんど昔からのやり方で適当にその場しのぎをやっているとしか見えません。個人にしろ組織にしろ、本音がどこにあるのか、子どもたちへの宿題の出し方やノートなどの点検の仕方、学校からのお便りなどを見ていると、最近流行の表現をすれば、まさに「学校ファースト」「先生ファースト」の類であると思われます。そういうものをうまく「活用」したり「補足」したりできるのは、よほど聡明な保護者の方か、同業者、つまり「先生」がご家族にいる家庭でしょう。
さて、三度目の機会をいただいてこの文面を書くにあたり、あらためて、現在の私が関心を持つキーワードで教育改革の現状を調べてみました。
その中で特に目に留まったものは、これからの日本の少子高齢化の予想です。国土交通省の「わが国の総人口の長期的推移」という資料を見ると、なんと二一〇〇年には、日本の人口は今の半数となり、そのうちの「約三人に一人が高齢者」と示されています。今日生まれた赤ちゃんが八〇歳を過ぎた頃には、日本は大正時代と同じ人口になり、しかも大正時代にはその大半が五〇歳以下であったのです。八〇年余りも先のことではピンと来ない人もいるかも知れません。二〇五〇年には戦後直後と同じ人口になり、一九五〇年から高度経済成長を担った働き盛りは、既に半減しています。今年小学校を卒業する子どもたちが成人する二〇二五年頃には、四分の一が高齢者です。ちなみに坂本龍馬が活躍した幕末の人口は、千二百万人余りで、今の一〇分の一です。
次に目に留まったものは、アクティブ・ラーニングの例として、五五歳から亡くなるまで日本中を歩き回ってほぼ正確な日本地図を作った伊能忠敬とその弟子たちの業績を紹介している文面でした(小菅将太EducationTomorrow編集長)。私もアクティブ・ラーニングの例は日本国内にあると考え、県内の谷川士清、松浦武四郎、柳樽悦、近藤真琴といった先駆者たちや幕末に活躍した有名人の坂本龍馬などが、どのように学び、そこで身に着けた学力を実際にどのように人生に活用したかを見直していたところでした。小菅氏は、日本全体の地図としてまとめる段階に焦点をあてていて、確かに伊能忠敬とそのグループの業績は、アクティブ・ラーニングの要素を備えています。私には私なりの考えがあり、伊能忠敬たちがそのようなことをする意欲やできる学力をどのように身に着けたのか、というところに関心を寄せています。当時の教育機関で言えば、藩校や寺子屋、私塾などです。
インターネットの検索では、ほかに、各大学の教育改革の方針や、大手学習塾の教育改革への対応、教育改革そのものに対する評論が以前よりも断然増えていますので、ご興味ある方はどうぞご覧ください。私がこの紙面で以前に書いたことと同じことを言っている研究もあります。今の私には、どうも子どもたちが直面している問題とかけ離れた理想論や、立場を守るための詭弁や、無責任な論考が多いように思われてしまいましたが。
だから今どうすればいい。この答えを具体的に見つけなければ、日本の近未来を背負う子どもたちに、高齢者を背負う気力も体力も育てられないと、と書いた瞬間に、私もその一人ですが、高齢者が甘えてよいのか、もっと自分自身のこととしてこれからの日本の在り方を考え、動かなければいけなければならないのではないかと思いました。年齢とは関係なく、坂本龍馬になろう。
坂本龍馬は、姉が基礎学力を付け、千葉道場で師範になり、勝海舟の塾に通い、海軍伝習所で学んだことは有名です。龍馬は「この国の未来ファースト」でした。その目的が貿易であったにせよ、龍馬の対話と協働を軸とした猛烈な活動が、生きた学力を誘発して日本の新時代を開きました。陰にはたくさんの龍馬がいたはずです。(伊東教育研究所)

厳かな式の様子

厳かな式の様子

1月23日、陸上自衛隊久居駐屯地の第33普通科連隊は駐屯地内体育館で恒例の成人式を行った。
新成人48名の内、47名が出席。来賓や先輩隊員400名が見守る中、新成人が壇上で名前・部隊名・出身地などを述べた。
下本昭司連隊長が「我が国とそれを取り巻く情勢は年々厳しくなっており、世界中で紛争やテロが発生している。国内でも災害や鳥インフルエンザなどで自衛隊が出動している。新成人となった諸君は自衛隊の任務をより自覚し、社会人として、自衛官として自分自身を鍛えて成長してほしい」と訓示した。
それを受け、新成人を代表して四日市市出身の中川光陸士長(20)が力強く抱負を述べた。
式を終えたばかりの岐阜県海津市出身の服部愛伶陸士長(20)は「これからも初心を忘れずに周りの人への感謝を持って努力を続けていきたい」と話していた。

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