本棚を整理していたら、薄いファイルがあった。開けてみると色紙や包装紙の切れ端が入っている。昔々、子どもと一緒に工作をした時の名残だ。
その頃は、今のように百円ショップでものが安く手に入る時代ではなかった。色紙や千代紙は文房具屋でそれなりの値段のものを買い、きれいな包装紙は丁寧にほどいて取っておいた。
ものは十分にあったけれど、ものがあふれてはいなかったと、今になってわかる。包装紙を大事に取っておく親子が、今どきいるだろうか。
ファイルの中には金色の折り紙もあった。金色銀色の折り紙を大事に取っておくのは、私が子どもの頃からの慣わし。一袋の折り紙に金色と銀色は一枚ずつしか入っていない。赤や黄色は何枚もあるので、心置きなく使うけれど、金色や銀色は特別の時に使うものとして大事にした。そして結局使われずに何十年もファイルにあったのだ。
今なら、金色ばかり入った折り紙だって、そんなに難しくなく子どもたちの手に入る。金色百枚入りがペットボトル数本の値段で買えるから。良いにおいの消しゴムも、好きなキャラクターのグッズも簡単に手に入る。
たぶん、子どもたちの身の回りから、足りないもの、希少なもの、大事なものが減っている。ものが満ちているということは、幸せなことだろう。そうでないような気もするが。                 (舞)