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『しろの日(城の日)』である4月6日、公益財団法人日本城郭協会が発表した「続日本100名城」に、津市の「津城」=津市丸之内=と「北畠氏館」=津市美杉町多気=が選ばれた。どちらも津市を代表する史跡だが、全国の各地域・各時代を代表する城として、改めて選ばれたことで今まで以上に注目されることは確実。全国から訪れる歴史・城郭ファンたちに、その魅力を伝える絶好のチャンスとなりそうだ。
日本城郭協会は国内外の城郭の調査研究を行っており、「日本城郭検定」も主催している。同協会は06年に、日本各地・時代を代表する城をピックアップした「日本100名城」を発表し、県内では伊賀上野城と松阪城が選ばれている。この度、発表された「続日本100名城」は前回の選定から惜しくも漏れたものや同様の歴史的価値を持つものが選ばれている。選定基準には城郭愛好家らの推薦を受けたもので、①優れた文化財・史跡、②著名な歴史の舞台、③時代・地域などがあり、同協会が精査。
今回、「続日本100名城」に選ばれた津城は、1558年~1570年の間に築城されたと言われており、1608年に津に入府した津藩祖・藤堂高虎公が大修築を実施。当時の火器の射程距離より広い水堀と頑丈な鉄門や多門櫓などを備えた鉄壁の要塞でありながら、城内は平地で平時には政庁として使い易い先進的な設計思想が最大の特徴。県史跡にも指定されている。「続100名城」には高虎公が豊臣秀長の家臣時代に築城した赤木城=熊野市=も選ばれており、100名城で公の手掛けた江戸城、二条城、徳川大阪城、篠山城、宇和島城、大洲城、今治城、伊賀上野城なども合わせると築城の名手の呼び名をほしいままにしている結果となっている。
一方の「北畠氏館」は、伊勢本街道に沿った交通の要衝であった美杉の多気に1342年に築かれ、「多気御所」の名で呼ばれた伊勢国司・北畠氏の本拠地。織田信長に攻められ、同氏が滅亡した後、廃城となったが跡地に北畠神社が建っており、見事な同氏時代の庭園も残っている。その背後の山頂に、同氏によって築かれた霧山城は、全国的に見ても珍しい規模の大きい山城の遺構が残る貴重な場所。庭園と城跡を合わせて「多気北畠氏城館跡」として国の史跡指定を受けている。
どちらも津市を代表する史跡で観光スポットであるが、こういった形で改めて注目されることで、今まで以上に全国の歴史・城郭ファンが訪れることはほぼ確実。それに伴い、津城復元資金の募金などに取り組む「津城復元の会」の活動の弾みとなったり、昨年、全線復旧した名松線の利活用のきっかけになることも期待されている。今後の動向が非常に楽しみだ。
2017年4月12日 PM 1:48