昨日までの雨がウソのような五月晴れの日にこの原稿を書いています。移り気を天候にたとえたことわざがありますが、移り気ではなく、子どもたちの未来についても、これまでがウソのように、本日のような柔らかい日差しと心地よい風が流れる時代になればいいと思います。ちょうど昨年の同じ時期に始めさせていただいた「始まった教育改革」は今年の三月までに断続的に連載していただきました。そこではこれからの様々な教育関連の改革に関することを少し早めに紹介しましたので、読んでいただいていた方々のなかには、私の書いたことがだんだん具体的に見える形になってきたとお感じになっている方もいらっしゃると思います。
今回はこれからの教育改革の具体化を前提としながら、教育に関する話題を提供させていただきたいと考えます。おりしもヒバリの声が低く、燕の巣では何度も餌を運ぶ親鳥の姿が見えます。自然界も子育て真っ最中というところでしょう。画家のゴッホには「麦畑」を題材にした有名な『ヒバリの飛び立つ麦畑』(一八八七)や遺作とされる『黒い鳥のいる麦畑』(一八九〇)など、この遺作を描いた年の七月を中心に「麦畑」を題材にした作品が二十余りあります。それと同じ時期のことを日本では「麦の秋」と呼ぶ言い方があり、初夏の季語になっています。実りの秋を麦の盛んな成長に見て初夏の季語にする日本の粋な伝統文化は、これから子どもたちがどのような時代を生きようとも受け継いでいってもらいたいものの一つだと私は考えます。
そんな自然を感じながら伊東教育研究所の近くの学校を私の一番下の子どもと散歩しました。この子が成人式を迎えるのはまだ十年余り先のことです。最初に訪れたのは私のところに勉強をしに来ている子どもたちに誘われた神戸小学校でした。来賓用の駐車場を通ったときにランプが点いたままの車を見つけ、テントの後ろにいた警察官の服装の若い人に、念のため「あなたは警察ですか」と三回聞いてから、ランプのことを告げました
そのあと、運動会のはつらつとした演技を見ながら、私の父がこの学校の校長であったのは、もう三十年も前のことだったのだなと思いました。あの当時は津市の中でも大規模校の一つで、たくさんの子どもたちとそのご家族の方々が運動場にひしめいていたのを想います。ポール上でゆったりとひるがえる日の丸を見ながら、運動会をする子どもたちにとってはちょうどよい天候でよかったなと思いました。
ほどなく、とても状態のよい大太鼓を応援用に外に持ち出しているのが気になりました。教員時代の私は、音楽教材の楽器としての大太鼓を砂埃にまみれさせたくないと、どこの学校でも応援専用のものと区別するように頼んだことを思い出しました。またこの学校は周囲が田園なのでたくさんの車が止められていましたが、市街の学校ではとても許されることではありません。このようなことを私がここで書くのは、子どもたちの教育の場では、どのような人に成長して欲しいかを、多方面に注意を払いながら行うことが大切だと言いたいからです。
神戸小学校から伊東教育研究所の前を通って津高校の運動場の西側を通る小道に入りました。「大きな鯉がいるよ」と娘が言うので見てみると、小さい川を大きな鯉がゆったりと泳いでいます。運動場では甲子園にも言ったことのある野球部が三重高校と練習試合をしていました。懐かしい母校の音楽室の下を通り抜けると、新しい理科棟があります。かつては吹奏楽部が練習場としていた旧校舎の焼け残りの図書館を、壊して建てられた理科棟が思いのほか古ぼけて見えたので、思い返してみると、もうこの建物も十五年近くになっているのだと改めて思いました。正門から入って、高校生時代に毎日通った職員室側に歩き始めて、すぐのところに長谷川素逝の顕彰碑があるのを見ました。そのおかげで著名な俳人の長谷川素逝が津高校のボート部(漕艇部)を全国大会までつれていった指導者であったことを、今頃再認識しました。私の同級生のボート部員はたった一人だったように記憶していますが、彼は「先輩たちが本当に大切にしてくれるのでさびしくない」と言っていたのを思い出します。
長谷川素逝の顕彰碑は学校創立百周年を記念してボート部の同窓生たちによって建てられ、その横には「生徒らと五月の朝の窓あけて」の立派な句碑がありました。中庭にも素逝の句碑があり、本日の練習試合は残念ながら十一対〇という大差で三重高校に負けた野球部ですが、その野球部とボート部には吹奏楽部の者にはわからない強い絆があることに心より羨望と敬意を感じていると、ふっと目に留まったものがありました。
二〇三〇年と書かれた半球のもので、創立一〇〇周年のときに埋められたタイムカプセルとのことです。「君が成人式を迎えたころに開かれるんだって」と娘に言いながら、そのときの日本はどうなっているのだろうかと思いました。タイムカプセルを埋めた高校生のなかには親子でタイムカプセルを開ける人もきっといるでしょう。
科学や文化、政治や経済で活躍している人たちもいるでしょう。人工知能が生活のなかに当たり前に存在し、学校教育も想像を絶するような多様化をしているころに開かれるタイムカプセルが、ここまでに私が語ってきたような日本や地域や学校の伝統というものを、どこまで受け継いで、それが世界遺産のようなものになってしまわないかどうか、それこそ、これからの教育にかかっていると言っても過言ではないと思います。
津高校から私が小学生のころにできた陸橋をわたって新町小学校に行きました。運動会のお昼休でみなさんは昼食中でしたので、私の在学中のものはほとんどないなかで、唯一残っている八丁通り側にある門柱を見に行きました。「新町尋常高等小学校」。大正半ばに作られたものですが、まだちゃんと残されています。教育に託す気持ちはいつの時代も変わらないとしみじみ感じながらしばらくその前に立っていました。
(伊東教育研究所)