私は教員時代にいろんな失敗をしています。そのなかでも自分を強く変えた失敗が三つあります。たぶんほかにもあるのでしょうが、自分でものすごく反省して一生懸命になってそれを改善しようとしたということで、三つにしぼってお話してみます。古い話もありますので、今の学校ではそのようなことはないと期待しながら、今回は書かせていただきます。
一つは、自分の指導力を高めようと、尊敬する現役の先生にくいついて頑張ったことに始まります。当時としては珍しく大学院まで修了して小学校の教員になったのですし、学生時代から音楽の指導や家庭教師などをいくつも経験していましたから、最初は「授業なんか簡単にできる」と思い込んでいました。ところが少しもうまくいかず、毎日が「泣きそう」でした。それで、白紙から勉強しなおそうと考えて、当時の四日市でとても子どもたちの指導が素晴らしい先生に、強引に「弟子入り」させていただきました。それから毎日、自分を変える努力をし、子どもたちから学ぶようにしました。ここではその具体的なことは省略させていただきます。
三年ほどたって、その尊敬する先生から、「君には負けたな」と言われました。そのときには、全国のレヴェルを知っている教育関係者の方々や周囲の同僚からも、「よくここまでできるようになった」と認めてもらうようになっていました。もちろん子どもたちや保護者の方々からも、最初とは比べ物にならないくらい信頼と期待を受けるようになっていました。当然ながら、そのようになった私は、相当な自信をつけるようになっていました。
ところが大失敗をしていたことに気づかされました。それは私といっしょに授業して卒業した子どもたちから異口同音に言われたことばからわかったのです。卒業生たちに「中学校はどうか」と尋ねると「授業が楽しくない」と言うのです。その理由が「伊東先生じゃないから」でした。最初のうちは、とてもうれしかったし、それなりの努力をしたのだから当然だと思いました。けれどもあまりにもたくさんの卒業生たちが言うので、だんだん不安になってきました。全国で活躍されている先生のことも知っていて、指導力のある先生が教育関係の情報誌などで紹介され、私もその一人として紹介されるようになった頃のことです。
先生が面白いから授業や勉強が面白い。反対に、先生の教え方がつまらないから授業や勉強が楽しくない。これでよいのか。本当なら、教師は、勉強することそのものが楽しくなり、自分でもっと知りたい、できるようになりたい、わかりたなど、子どもたちがそれを学ぶことの意味を自分で感じるようにするべきではないのか。それが教師としての指導力ではないのか。まだ私が三十歳になったばかりの頃のことです。
自分が指導力を身に着けて、子どもたちが授業を喜んでくれるというのは、反対に、子どもたちと勉強することの関係をうまく自分がつないでいただけのことではないか。私にとっては、ものすごく衝撃的なことで、根本的に失敗した、と思いました。それからまた、もう一度、白紙からやりなおしました。今度は自分一人でどうすればよいかを試行錯誤しました。いいえ、自分一人ではありません。子どもたちがいました。子どもたちと、子どもたち自身が勉強に真剣に取り組む授業をどのようにすればよいかを、毎時間、試行錯誤をしたのです。教師の役割とは何かも、ずいぶんと考えて授業のなかで試してみました。教科によって異なりますが、それでやっとわかったことが、今で言えば「アクティブラーニング」なのでした。当時はそんなことばも知りません。とにかく子どもたちが課題に取り組む時間を授業のなかで作り、「教える」ということは、子どもたちだけでは乗り越えられないときや、子どもたちから求められたときにするようにする。いつも子どもたちの言動に気をつけて、自分の「教えたい」欲望を抑え、子どもたちのものすごく幅の広い思考や感性や判断をできる限り予想しておきながらも、教師である自分の思う通りの筋道での授業はしない。
子どもたちの自主的で自発的な学びに臨機に対応するときには、それまでに身に着けた指導力とその後も続けた努力が役にたちました。このようにして、子どもたちがそれぞれの授業の目標と内容に自分で向かって学力にできるような授業ができるようになっていきました。それができるようになったと私が思ったのは、卒業生たちが「中学校の授業は面白い」と言うようになったことと、中学校の何人かの先生から「自分や仲間といっしょに勉強に向かう入学生を受け入れたのは初めてだ」と言われるようになったことからでした。本心では、寂しいなと思うところもありましたが、教師に指導力に頼る子どもの学力は、底が浅いものですから仕方ありません。
ほかの二つです。一つは宿題の出し方で、これは授業の進み方や学力の定着を家庭で補うために出していて、それがものすごくご家庭に負担をかけていることを知って、出し方を変えました。宿題を出すときは、必ず私自身が答え合わせをして、やってこなかった子どももすぐには叱らないようにしました。ほかにも工夫しましたが、これは内緒にしておきます。私が反省してやり方を変えたので、子どもたちが宿題をいやがらないようになりました。また、宿題に頼らない授業を心がけるようになってから、授業がさらに子どもたちにとって意味のあるものになるようにできたと思っています。私は宿題を無責任に出す教師に、厳しい目を今でも向けています。
三つ目は、不登校の子どものことです。私は、自分の一言で子どもを不登校にしてしまったものすごく苦い経験をしています。結局その子どもは再び私の学級に戻って来てくれました。学校関係者や専門家の方からは「奇跡的だ」と言われましたが、それなりにものすごく努力をしたのです。大切なことは、学級の子どもたちの全員が、毎日その子と「いっしょ」にいてくれたことです。これについては次にくわしく書きます。  (伊東教育研究所)