昨年、松阪市が無作為抽出した市民5000人へのアンケートによると、松阪市を観光地だと思うかとの問いに対し、観光地であるとしたのが6%、どちらかといえば観光地であるが26・4%、どちらかといえば観光地ではないが30・5%で、観光地ではないが18・6%だった。どちらともいえないが9・5%、無回答が9%である。
この質問は、地域住民に対し、一般的日本人が持つ『観光地』というイメージを問うたものだ。結果は否定的な見解の方が多かった。
とはいえ、国の内外から最も『観光客』を集めているのは首都東京であるが、それでは多くの東京都民に『観光地』としての自覚があるかといえば、それは甚だ疑問である。また、津市民や松阪市民が初詣で伊勢神宮を訪れる際、それを『観光地』に『観光』に行くと考える向きもそう多くはない。『観光地』かどうかは、訪問者の主観に負うところが大きいのである。
いったい『観光地』とは何なのだろうか。
国交省の観光白書では、旅行を『観光』『兼観光』『家事・帰省』『業務』『その他』に分けて、家事・帰省、業務、その他を除いた旅行を『観光』だとしている。
要は、旅を伴う余暇活動を『観光』としているのだ。その受皿が『観光地』であり、日帰り・滞在とわず、そのパーソンが『観光客』である。
このような定義付けは、『観光』を一つの産業カテゴリーとして理解を促す点で必要である。が、いささか無理もある。現状では隣町の花火やお祭り、買い物、神事など、宿泊を伴わない地域住民の活動さえもが『観光客』になるからだ。
日本政府も『観光』の定義を試みた。1995年6月、観光政策審議会の『今後の観光政策の基本的な方向について』の中で、『観光』を『時間』『場所・空間』『目的』の三つの面から定義した。
つまり観光とは、余暇時間の中で、日常生活圏を離れて行うさまざまな活動であって、触れ合い、学び、遊ぶということを目的とする、である。
そして、2000年12月の『21世紀初頭における観光振興方策について』では、いわゆる『観光』の定義について、単なる余暇活動の一環としてのみではなく、より広く捉えるべきだとした。
だが、この広義的解釈はいわゆる○○ツーリズムとして、農業観光、産業観光、医療観光、環境観光などで多くの省庁の参画を許し、縦割り行政の弊害の中で混戦の様を呈した。2013年に津市で開催された『インバウンド研究会・三重セミナー』で観光庁の参事官は、私の問いに対し、県南部の住民が北部のジャスコへ買い物に出かけることさえも『観光』だと言った。
そもそも、法律上で最初に『観光=ツーリズム』が使用されたのは、10930年の勅令83『国際観光局』からである。 当時の日本では『国際』と付けなくても、ツーリズムは国際観光と同義語だった。
にもかかわらず、今の日本の『観光=ツーリズム』は、観光の語源たる『國の光を観る』の広義的解釈に満ちている。前述の通り、日帰り客も参拝者も『観光客』扱いだ。街によっては、住民向けのイベントや祭りの入り込みさえもが『観光客』扱いである。
だが、これらが投下資本を回収しているとは言い難い。かくて、どのようにも解釈可能な『観光』という言葉の曖昧さが、かえって我が国の『ツーリズム』の基幹産業化の阻害要因になっている。
ちなみに国連世界観光機関によると、観光客=ツーリストは24時間以上の滞在、24時間以下は訪問者=ビジターで、観光客やビジネス客も分けてはいない。至ってシンプルである。
前回書いた国際フォーラムに於いても、初日と二日目こそ朝から晩までビジネスとしての討議だったが、三日目は観光としてのバスツアーだった。来日目的を観光かビジネスで分けるのはナンセンスなのである。
このように、国際社会における『ツーリズム』と、日本の一般的な『観光』との間には依然として大きな隔たりがある。欧米先進国のみならず、中国や韓国に於いても『ツーリズム』は、『モノの貿易』と双璧を成す『サービス貿易』上の外貨獲得産業である。
『地方創生』には、この本当の意味での『ツーリズム産業』の推進が必要なのだ。それは人口減少による顧客減少トレンドにあっても、百貨店や民泊のみならず、あらゆる事業で可能性を見出すに違いない。
インバウンド時代の『観光=ツーリズム』は意識改革から始まる。ツーリズムは娯楽だけではないのだ。
(O・H・M・S・S「大宇陀・東紀州・松阪圏サイトシーイング・サポート」代表)