三重県にジェームズ・ボンドが既に来ていたと書くと、若い世代は驚かれるかも知れない。
それは、1964年にジョナサンケープ社から出版された小説『007は二度死ぬ』(日本語版は早川書房)での事である。
これは、スイスアルプスを舞台とした『女王陛下の007号』の後日譚で、執筆にあたって1962年に再来日した原作者イアン・フレミングは、三重県にも来ていたのである。
当時の取材日数は12日間で、ガイドは朝日新聞社の斎藤寅郎(タイガー)と、サンデータイムズ特派員のリチャード・ヒューズ。この二人は、1959年のフレミング初来日の3日間の際にも同行していた。
もともとロイター通信の特派員だったフレミングは、取材に基づくリアリズムを重視する。
この小説にも固有名詞や実在の場所がたくさん登場する。確認できる三重県コンテンツとしては、伊勢海老、水中翼船(今はない)、ミキモト真珠島の御木本幸吉の像と海女、伊勢神宮の外宮、松阪牛、和田金牧場、松尾芭蕉の俳句などがある。
また、固有名詞こそ無いものの、京都行きの途上で寄った、公安調査局の秘密訓練施設としての忍者の『城』や、スペクター首領のアジトとしての『海に囲まれた城』も登場する。
シチュエーションからみて、前者はまず伊賀上野城とみて間違いなく、後者についても、私はこれは鳥羽城ではないかと勘ぐっている。
モン・サン・ミッシェル城じゃあるまいし、このような城が日本でそうおいそれと思い浮かぶものではないからだ。
とはいえ、フレミングはこの城の舞台を九州某所の海女の島『黒島』へと移し、そこを宿敵との最後の死闘の場としてしまった。
このような作劇上の変更はよくある事で、たとえば実際にフレミングが活伊勢海老料理と遭遇したのは蒲郡のホテルだが、ジェームズ・ボンドが活伊勢海老料理に仰天する愉快なシーンは、物語の展開上、鳥羽の旅館での出来事となっている。
リアリズムにこだわる場面は他にもある。日本の公安局長タイガー田中の指示で、日本人に扮したボンドが伊勢神宮の外宮を参拝する場面もその一つだ。
ボンドは二人の神官が見守る中で、神殿に一礼すると賽銭箱に小銭を投げ入れ、柏手を打つと拝礼し、また手を打つと一礼して踵を返す。これを見たタイガー田中は、もう女学生達にも気取られないようになったと賞賛する。修学旅行で賑わう外宮前の当時の活況が彷彿される場面だ。
また、このあと二人は松阪の和田金牧場へとハイヤーで移動するが、ボンドはそこでビールを牛に飲ませたり、口に含んだ焼酎を背に吹きかけると擦り込みマッサージまでして、後にそれをステーキにして食す事になる。当時の松阪牛肥育の手間暇がシンボライズされた場面だ。
極めつけは、松尾芭蕉の俳句に倣ったというボンドの俳句である。その一節が小説の原題『You only live twice』となった。
ジョナサンケープ社のハードカバーの裏には、少し変わった日本文字で『二度だけの命』と縦書きでも表記されいる。
この小説はフレミングの没後3年目の1967年に映画化された。今年はちょうど50周年である。ボンド役は当時人気のショーン・コネリーで、タイガー田中には丹波哲郎、いわゆるボンドガールには浜美枝と若林映子の東宝コンビを配し、オープン仕様のトヨタ2000GTや、日本縦断ロケ等が国中の話題になった。
だが、プロデューサー達はロケハンの段階でヘリコプターを長期チャーターすると、小説にある『海に囲まれた城』を求めて日本中の海岸線を探したが見つからず、結果としてプロットが大きく改変される事になり、ロケハン途上で見い出された新燃岳の噴火口がスペクターのアジトとなった。
これにより、ロアルド・ダールによって書き起こされた脚本は、三重県の『み』の字もない映画となってしまった。
ちなみに、このシリーズはダニエル・クレイグ主演で仕切り直され、現在進行形である。2015年に公開された『スペクター』では、1969年公開の『女王陛下の007』がインスパイアされている。
つまり、次回の映画にフレミングの『007号は二度死ぬ』がインスパイアされても不思議ではない。
三重県は旗を振るべきである。
(O・H・M・S・S「大宇陀・東紀州・松阪圏サイトシーイング・サポート」代表)