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津市片田志袋町から片田井戸町、片田町、そして片田久保町。国道163号は田園地帯に沿って緩やかな曲線を描いている。収穫を終えたばかりの田では風に舞う稲わらが、豊穣を告げている。
この一帯は、旧伊賀街道に沿って集落が形成されており、片田町から片田久保町にかけては、旅籠だった建物や、常夜灯など宿場町の面影も残っている。
そんな風景に心躍らせながらも、アスファルトをなぞる足取りは決して軽やかではない。この地域には歩道や十分な広さの路側帯が余りなく、必然的に車道の端を歩く時間が長くなるからだ。平日昼間でも交通量があり、気を抜けば、事故になりかねないので、慎重にならざるを得ない。
道路の右側を歩きながら、前方から来る自動車に全神経を注ぐ。スペースがあれば大きく避け、無ければ立ち止まり、やり過ごす。それを繰り返しつつ、少しずつ美里町方面へと歩みを進める。
国道沿いでも少し古めの家々は、玄関が国道にほぼ直結しているものが少なくない。これは数十年前まで、道路が単なる交通インフラというだけでなく、文字通り人々の生活の場であったことを示す証。道路は子供たちの最も身近な遊び場であり、大人たちにとっても社交の場だった。
自動車への〝主役交代〟によって、利便性は飛躍的に向上したが、ほとんどの道路は自動車のために最適化されてしまった。一方は、陸を統べる王者の顔色を伺い、もう一方はか弱き貧者への施しに腐心するかの如き均整を欠いた関係が路上の常となっている。
本来、人間は2本の足と道さえあれば、どこへでもいける生物のはずだ。〝遠く〟が近くなった反面、〝近く〟が遠くなってしまったのは、皮肉という他はない。
なにも今を否定したいわけではない。大切なのは私たちが何を得て、何を失ったのかを知ることだ。ただ道路を歩くという単純な行為が、それらを浮き彫りにしていくから不思議だ。 (本紙報道部長・麻生純矢)
2017年10月19日 AM 4:55