吹上の坂の道路改良を祝う開鑿記念碑

吹上の坂の道路改良を祝う開鑿記念碑

さて、ここからはいよいよ美里町。すぐ近くに吹上の坂の道路改良を祝う開鑿記念碑が立っている。碑には明治15年7月建之とある。この当時、既存の道路改良や新道の設置の機運が全国的にも高まっていた。四方を山に囲まれた伊賀地域にとって旧伊賀街道は商業的にも、生活インフラとしても非常に重要で改良工事は悲願。長野隧道(トンネル)含めた街道全体の改良工事が行われた。当時の道路工事の原資は、公費よりも沿線の村々から集めた民費の割合が大きいのが一般的。吹上の坂の改良工事は五百野村の人々の負担によって賄われており、碑には「五百野人民一同」という名義と共に発起人の名前などが刻まれている。難所の改良を自分たちの代で成し遂げたことは、後世にも語り継ぎたいほど誇らしい出来事だったのだ。事実、その思いが生き続けているからこそ、我々も難なくこの道を通ることができる。現在の道路は行政によって設置・管理されているので、自分のものという愛着は薄いかもしれないが、この碑はかつて道路がどういう存在であったかを教えてくれる。
更に国道を進むと、旧伊賀街道と旧伊勢街道を結んだ旧奈良街道との分岐点。その少し先にあるコンビニで休憩をとる。すぐに冷たい炭酸飲料を購入すると、駐車場の端に腰を下ろす。
スマートフォンの時間は17時。地図アプリで、目標の長野峠までの道程を改めて確認すると、中心市街地からここまでの距離とほぼ同じ10㎞。日没までしばらく時間はあるが、体力的に辿り着ける自信がないので、キリの良いところで引き上げを決断。幸い国道には津駅方面へ向かう路線バスが走っているので、コンビニを出発し、近くのバス停で時刻表を確認。帰りのバスは確保できそうなので迷わず進む。
五百野の集落の北側を通る国道沿いに「五百野皇女」の伝説が残る地であることを記した大きな碑がある。彼女は景行天皇の第7皇女で、伊勢神宮の斎王としての任を終え、都に戻る旅路で病に倒れたといわれている。以前は国道の北側に鎮座する高宮神社の方にあったが圃場整備でここに移動したという。赤く染まり傾いていく太陽。皇女の郷愁に思いを重ねながら西へ進む。(本紙報道部長・麻生純矢)

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