1744年のクリケンベルグ彗星

1744年のクリケンベルグ彗星

『星解』に乗った明和7年7月のオーロラ

『星解』に乗った明和7年7月のオーロラ

現在では47都道府県あげて『歴史文化観光』に熱心に取り組んでいる。中でも、建築物、遺跡、文化財を観光コンテンツとして活用するのが一般的で、政府もこれを後押ししている。
とはいえ、現代や近未来についての話題が無いので、現状では恰も日本中が後ろ向きのようでもある。評価が定まった過去の自慢だけでは、『温故知新』に役立つことも然程ないだろう。
ご存知のように、『文化』も『遺跡』も最初に『文明』有りきである。『文明』は、地域社会の『文化』として定着し、時を経て『遺跡』と化す。
国の内外からの来訪者で賑わう都市には、この過去から現在、現在から未来への流れが際立っている。言い換えれば、古いものと新しいものとの混在が都市の幅を広く見せ、歴史フリークでない者をも惹きつける。つまるところ、現在進行形の文明と文化も観光コンテンツの一つなのである。したがって、過去のみならず現在と未来についても語らねば、早かれ遅かれ数多の日本史コンテンツの中の一つとして、埋もれてゆくのは自明であろう。
とはいえ、多くの地方都市にとって、新しいモノを見出すのは容易な事ではない。この点、演芸場や映画館、コンサートホールといった興業ハードウェアが残っていればラッキーだ。訪問者への活用を臨む事ができるからである。
また、ガストロノミー・ツーリズムといった方法もある。『食文化』も日本の文化の一つだからだ。そして、現代のサブカルチャーも注目に値する。それらは時が経つにつれ、メインカルチャーへと昇華する場合があるからだ。
更には宇宙もある。例えば、星座は緯度によって違って見えるし、北極星もインドネシアでは水平線の彼方にある。ここにあるのは、訪問者にとっては非日常的世界だからだ。また、『お月見』などの月にまつわる風習も、外国人には珍しい文化体験ではないか。何といっても、宇宙には現在・過去・未来が同居している。そして、今年は新たな宇宙時代の夜明けでもある。地元史との関連性を探すのも興味深いに違いない。
例えば、明和7年7月28日(西暦1770年9月17日)に宣長さんが見たというオーロラ(※を参照)は、ちょうどこのころ来ていた巨大なレクセル彗星の尾だったかも知れない。シンクロニックバンドと呼ばれる物理現象に酷似しているからだ。
この彗星は7月1日には226万㎞まで地球に近づき、メシエは月の見かけの大きさの4倍だと記録している。近日点通過は8月14日。メシエはレクセルが太陽を去る10月3日まで観察した。

※このような規模のオーロラは、1859年にも発生し、キャリントン・イベントとして目撃例は世界中に残る。だが、1770年のは日本だけであり、この時代のメシエのノートにも記述がない。日本にしか巨大太陽風が影響しなかったという事は普通あり得ない。

分からないのが『怪異星(UFO』だ。宣長さんは、天明8年4月11日(西暦1788年5月16日)の夕方六半時(午後8時過ぎ)、南方上空にそれを見ている。
近県や京都や江戸でも見られたとあるのでかなりの高空ではないかと思うのだが、メシエのノートはおろか、日本海側の加賀藩の資料にも記録がない。このことから、それは大気圏内でのイベントではないかと思う。

「十一日、今夕六半時有光物、自南方昇収南方、忽光輝忽消、故其形状無慥見之人、其光映一天之霞甚光明、其光之間、比雷光稍緩、雖然無慥見之間、忽消焉、後日聞之、近国皆同時也、京江戸等亦同」(宣長全集・16─」420)

「11日、夕方六半時光り物があり、南方から昇り、南方に収まった。光り輝くと、直ぐに消えたので、その形をたしかに見た人はいないが、その光が空全体の霞を照らし、非常に明るく見えた。雷の光に比べると、やや時間が長かったが、じっくりと見るほどには長くなく、すぐに消えてしまった。後で聞くと、近い地方にも同じような物が見え、また京や江戸でも同様だった」。
(O・H・M・S・S「大宇陀・東紀州・松阪圏サイトシーイング・サポート」代表)