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津市久居東鷹跡町の県立久居農林高校で15日、生活デザイン科食生活コース3年30名による「名松線駅弁レシピコンテスト」が開かれた。
松阪市と津市美杉町を結ぶ同線は一昨年3月、約6年半ぶりに全線復旧したが、活性化に向け他地域からの集客が大きな課題となっている。
このコンテストは、市が、乗客を対象に行ったアンケートで終点の伊勢奥津駅周辺に食事ができる場所が少ないという声が多かったことから企画したもの。昨春、同校へ開催を呼びかけ、生徒達はレシピ考案にあたり、同線の歴史や、沿線の名所・四季の美しい風景などについて学んだ。
そして、各3名ずつ10班に分かれ、津や三重の食材を使い、栄養豊富かつ、千円の価格設定で名松線を盛り上げる駅弁を目指し、試作を重ねた。
当日も真剣な表情で調理し、沿線の飲食店関係者と市職員合わせて14名が、味や見た目、沿線の食材を使っているか、食材の特徴を生かしているかを審査。結果、津のキャベツ・しいたけ・タケノコを使った「春の彩り弁当」が見事、最優秀賞に選ばれた。
考案した田中沙季さん、齊藤百美さん、松本元輝さん(全員18歳)はそれぞれ、「昔から名松線に乗っている人は、名松線がなくなったら辛いと思うし、これからも残せるように少しでも活性化できるお弁当を考えるのが難しかったです」「メインのちらし寿司の彩りを良くして、卵焼きは春をイメージして桜エビや桜でんぶを使いました」「老若男女に美味しいと思ってもらえるお弁当にするのが難しかったです」と話した。
生徒達のレシピは市に提供され、希望する飲食業者に渡される予定。
2018年1月25日 AM 4:55
2月3・4日、三重県総合文化センターで、日本在宅医学会主催の「第3回地域フォーラムin三重『在宅医療 全部まるミエ!?~美し国から全国へ~』」が開催される。
大会長は、三重県立一志病院の四方哲院長。
高齢化が進む日本では、団塊の世代が75歳以上となる2025年以降、医療・介護の需要がさらに増加する見込み。そこで厚労省は同年を目途に、高齢者が、住み慣れた地域で自分らしい暮らしを最期まで続けられるよう、住まい・医療・介護・予防・生活支援を一体的に提供する「地域包括ケアシステム」の構築を推進。各地で自治体、医療・介護・福祉関係者、住民などが、同システムの実現に向け、事例検討などを行っている。
このフォーラムでは、同システムにおいても重要な在宅医療について、県内の先進的な取組みを紹介。四方大会長は「内容は、学術的ですが一般の方も理解しやすく、身近で役立つものばかりです。医療者はもちろん、介護・福祉職の人、一般の方にも聞いてもらいたい」と呼びかけている。
◆内容は例えば、▼講演「優しさを伝えるケア技術 ユマニチュード~専門職にも、家族にも~」=3日10時半~12時。座長・同院の澁谷咲子看護部長、演者・国立東京医療センターの本田美和子さん▼講演(市民公開講座)「在宅医療で文化を変える~いのちの授業と在宅看取り~」=4日13時半~15時。座長・三重大学地域医療学講座の若林英樹さん。演者・いしが在宅ケアクリニックの石賀丈士さん▼特別実演(市民公開講座)「多職種連携住民参加型マインドマップを使った「見える事例検討会」=4日13時半〜15時。座長・津一志地域包括支援センターの峰田佳奈子さん。演者=美杉・白山・一志 顔の見える会メンバー。地域包括ケアシステム構築に向け、専門職員だけでなく住民も参加して行っている取組みを紹介。
◆事前申し込みは締め切り済み。当日参加費用は、▼医師・歯科医師=会員1万円・非会員1万2千円▼医師・歯科医師以外=会員・非会員問わず4千円▼学生=千円(大学院生は除く)。※市民公開講座は参加無料。
◆詳細は大会HPで。
2018年1月25日 AM 4:55
現在では47都道府県あげて『歴史文化観光』に熱心に取り組んでいる。中でも、建築物、遺跡、文化財を観光コンテンツとして活用するのが一般的で、政府もこれを後押ししている。
とはいえ、現代や近未来についての話題が無いので、現状では恰も日本中が後ろ向きのようでもある。評価が定まった過去の自慢だけでは、『温故知新』に役立つことも然程ないだろう。
ご存知のように、『文化』も『遺跡』も最初に『文明』有りきである。『文明』は、地域社会の『文化』として定着し、時を経て『遺跡』と化す。
国の内外からの来訪者で賑わう都市には、この過去から現在、現在から未来への流れが際立っている。言い換えれば、古いものと新しいものとの混在が都市の幅を広く見せ、歴史フリークでない者をも惹きつける。つまるところ、現在進行形の文明と文化も観光コンテンツの一つなのである。したがって、過去のみならず現在と未来についても語らねば、早かれ遅かれ数多の日本史コンテンツの中の一つとして、埋もれてゆくのは自明であろう。
とはいえ、多くの地方都市にとって、新しいモノを見出すのは容易な事ではない。この点、演芸場や映画館、コンサートホールといった興業ハードウェアが残っていればラッキーだ。訪問者への活用を臨む事ができるからである。
また、ガストロノミー・ツーリズムといった方法もある。『食文化』も日本の文化の一つだからだ。そして、現代のサブカルチャーも注目に値する。それらは時が経つにつれ、メインカルチャーへと昇華する場合があるからだ。
更には宇宙もある。例えば、星座は緯度によって違って見えるし、北極星もインドネシアでは水平線の彼方にある。ここにあるのは、訪問者にとっては非日常的世界だからだ。また、『お月見』などの月にまつわる風習も、外国人には珍しい文化体験ではないか。何といっても、宇宙には現在・過去・未来が同居している。そして、今年は新たな宇宙時代の夜明けでもある。地元史との関連性を探すのも興味深いに違いない。
例えば、明和7年7月28日(西暦1770年9月17日)に宣長さんが見たというオーロラ(※を参照)は、ちょうどこのころ来ていた巨大なレクセル彗星の尾だったかも知れない。シンクロニックバンドと呼ばれる物理現象に酷似しているからだ。
この彗星は7月1日には226万㎞まで地球に近づき、メシエは月の見かけの大きさの4倍だと記録している。近日点通過は8月14日。メシエはレクセルが太陽を去る10月3日まで観察した。
※このような規模のオーロラは、1859年にも発生し、キャリントン・イベントとして目撃例は世界中に残る。だが、1770年のは日本だけであり、この時代のメシエのノートにも記述がない。日本にしか巨大太陽風が影響しなかったという事は普通あり得ない。
分からないのが『怪異星(UFO』だ。宣長さんは、天明8年4月11日(西暦1788年5月16日)の夕方六半時(午後8時過ぎ)、南方上空にそれを見ている。
近県や京都や江戸でも見られたとあるのでかなりの高空ではないかと思うのだが、メシエのノートはおろか、日本海側の加賀藩の資料にも記録がない。このことから、それは大気圏内でのイベントではないかと思う。
「十一日、今夕六半時有光物、自南方昇収南方、忽光輝忽消、故其形状無慥見之人、其光映一天之霞甚光明、其光之間、比雷光稍緩、雖然無慥見之間、忽消焉、後日聞之、近国皆同時也、京江戸等亦同」(宣長全集・16─」420)
「11日、夕方六半時光り物があり、南方から昇り、南方に収まった。光り輝くと、直ぐに消えたので、その形をたしかに見た人はいないが、その光が空全体の霞を照らし、非常に明るく見えた。雷の光に比べると、やや時間が長かったが、じっくりと見るほどには長くなく、すぐに消えてしまった。後で聞くと、近い地方にも同じような物が見え、また京や江戸でも同様だった」。
(O・H・M・S・S「大宇陀・東紀州・松阪圏サイトシーイング・サポート」代表)
2018年1月25日 AM 4:55