2018年1月

なごみの四季彩画教室の季節感溢れる作品

なごみの四季彩画教室の季節感溢れる作品

津市安東町の古民家コミュニティー「ゆずり葉」で31日までの10時~17時、同施設で開講されている4つの教室=絵手紙(伊藤千恵代表)、かな書(奥田千恵子代表)、なごみの四季彩画(鈴木真弓代表)、楽しい短歌(西村淑子代表)=の作品展が開催中。
月曜・金曜は休館。
1年間の成果発表の場として毎年1月に催されているもの。5回目の今回は、各教室約10名が出品した。
なごやかで楽しい雰囲気の教室で心を込めて一生懸命作られた短歌や、鮮やかな色彩で描かれた季節感溢れる四季彩画など、力作が揃っている。
なお21日14時~、同施設で、「第79回みんなの国語教室」として読み聞かせ・新春の詩舞・茶会が催される。
問い合わせはゆずり葉☎津227・3523。

松阪市で先月行われた出張相談の様子

松阪市で先月行われた出張相談の様子

2月16日9時半~11時半、津市羽所町、津駅東口前のアスト津で、女性の就職・子育てや介護などのため退職した後の再就職を支援する事業「ママハタみえ」の応援企業プレゼンが開催される。
この事業は三重県産業支援センターと三重県が主催し、㈱Eプレゼンス=四日市市=が受託。厚労省の助成を受け平成29年度に実施されている。女性のキャリア支援事業などを行い、女性社員が在宅ワークで活躍している同社が県内各地で相談窓口を開設。働きたいという意思を持つ女性と、母親・女性に優しい県内企業をマッチングする。
同社がこの事業に参加した女性にアンケートを行ったところ、回答者の働くことに関する考え方やニーズが、県北部・中部・南部の地域によって異なっていた。各地域の経済事情や保育の充実度などが影響していると考えられる。また、就職を考えているものの、女性が活躍している企業の採用情報の収集に消極的な人も多い。
一方、企業が女性スタッフの活躍を実現するには、採用情報をより積極的に発信すると共に、女性を採用してからその人が子育てなどを経てキャリアアップするまで、長い目を持つことが重要だという。
同事業は、行政が、これらの女性と企業のニーズや課題を把握しマッチングに繋げるきっかけにもなっており、今後の施策に生かされることも期待される。
応援企業プレゼンは2月7日に伊勢市、2月8日に四日市市でも実施。各会場7社が参加し、各社で働く女性が発表する。各社の雰囲気を確かめたり、「子供が熱を出したときはどうしていますか?」など仕事に関する質問ができる貴重な機会。
◆津会場の参加企業=▼浅井農園㈱▼うれし野アグリ㈱▼㈱サンエル▼中外医薬生産㈱▼㈱美杉リゾート▼㈱モビリティランド▼㈱横山食品。
◆イベント内容=▼企業プレゼン▼グループ形式の質問タイム。ほかのママ・女性とも情報交換▼個別相談(希望者)…気になった会社に相談。※ママハタみえのキャリアコンサルタントへの相談も歓迎。相談者に合った企業を紹介する。
◆定員=各会場16名程度(先着順)。※託児あり(事前申し込み要)。
◆参加費=無料。
◆対象=母親・女性が働きやすい企業に興味がある人。就職(正社員・パートなど)希望の女性。
◆参加申し込み=「ママハタみえ」ホームページ申し込みフォーム、または㈱Eプレゼンスへ☎059・336・4002(担当・岡さん)で。
◆申し込み締め切り=津会場は2月13日、四日市・伊勢会場は2月5日。

三重ふるさと新聞立ち上げを応援する会が催されたのは、1997年のことであった。
津の素晴らしさを再発見し、また、ふるさとを元気にする新しい新聞の門出を祝い、仲間が都ホテルに集った。
そのとき駆けつけてくれたのが「鬼太鼓(おんでこ)座」であった。
現在四千以上ある和太鼓の集団のルーツともいえる伝説のグループである。
ふるさと新聞創始者、西田氏への友情出演であった。
誰もが周りとの会話に夢中で、騒々しい空気の中、彼らは特設の舞台に上がった。
「ぱん!」
一発の締め太鼓が会場に響き渡ると一瞬にして場の空気が変わった。
「ドン!」大太鼓の音に全員の心が舞台にくぎ付けにされ、魂が鷲掴みにされた。
皆がひとつになってゆく。
和太鼓には、やまとこころのスイッチをオンにするエネルギーが満ちていた。
私が、鬼太鼓座と出会ったのは今から30年前のことだった。
当時のメンバーであった吉村信介氏と友人になり、彼から太鼓のことを教わったのがきっかけだった。
「太鼓は叩いた力でたたき返される。だから、太鼓打ちは太鼓に叩かれているんだ」と彼は言った。叩く力と受け止める力を持ち合わせるために、彼らは毎日30キロ走った。左右の手が同じように使えなくてはいけないからと、利き手と反対の手で箸を持ち食事をした。日常のすべてが修行だった。私は、そんな太鼓打ちに惚れた。走るのは無理だから箸だけ真似した。
そんなある日のこと、信介さんが「糸川英夫博士のお宅に行くけど、一緒にどう?」と私に言った。
「え、あのロケット博士?是非連れて行って!」私はついていった。
そのときの出逢いが人生を根っこから変えることになるのだから、運命というのは不思議だ。
糸川英夫博士はその日、29歳の私に話してくださった。
「世界の科学者たちが私に言います。日本は真似をして儲けるのはうまいが、独創的なものは生み出さない。まるでブラックホールのような国だと。私は悔しかったが、経済優先の日本を擁護できずにいました。でも、まさに和太鼓こそ日本が発信する独創的なエネルギーであり、日本の魂だと。希望の光だと確信しました。だから、私は和太鼓をイスラエルに持っていきユダヤ民族へのレクイエム(鎮魂)として捧げようと考えているのですよ。ヤマトの民とユダヤ民族が手を結ぶとき世界が平安へと導かれるというビジョンが私には見せられたので…」
和太鼓は、民族を超えて響きあえる「超言語」なのである。
私は、糸川博士のビジョンに魅せられ、弟子にしていただいた。
やがて、吉村信介さんは、兄、城太郎さんと鬼太鼓座の遺伝子を継承しながら新しい太鼓の集団を立ち上げた。愛知県北設楽郡東栄町の廃校になった小学校を拠点に新メンバーと共に移住していった。
昔から日本には、太鼓をうまく打てる者を「したら」、打てないものを「ふしだら」と呼んだ。
志の多き仲間の集い、その名も「志多ら」が誕生したのは1990年のことであった。
志多らは、地域に根差し、東栄町の国の無形民俗文化財・花祭りに「志多ら舞」を奉納するなど地元に溶け込んでいった。
志多らは、「祭りとは何か?」と問い続けながら曲を生み、舞台に立ち続けた。
やがて、祭りこそ地域のアイデンティティを守り、人にとって最も大切なふるさとを守ることなのだと知った。
そして志多らは、守るだけではなく新しいアイデンティティを創造することがふるさとを守り、国を大切にすることにつながってゆくのだと気づいてゆく。
やまとこころの響きが人の心を豊かにし、人を強く、そして優しくするのだと志多らは教えてくれる。
志多らの創作した曲は、私たちを魂のふるさとに誘う。
その志多らが津にやって来る。

彼らの太鼓の響きを魂にうけて、やまとこころに火を灯しませんか。
激変する時代の中で、変わらない本当のことを志多らは私たちに伝えてくれることでしょう。
(赤塚建設㈱社長)

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