新長野トンネルを抜け、伊賀市へ

新長野トンネルを抜け、伊賀市へ

伊賀市上阿波の集落

伊賀市上阿波の集落

新長野トンネルを抜けると、いよいよ伊賀市。時刻は11時過ぎ。日没時刻は17時前なので今日の目的地の上野市駅まで残り20㎞以上あることを考えると余裕はない。
少し進むと現在の国道と昭和のトンネルから続く道とが交差する場所に出る。ここから登った少し先には伊賀越えの道がある。江戸時代には多くの人々がこの道を行き来しながら旅をした。
その近くには松尾芭蕉の句碑「猿蓑塚」。碑に刻まれている「初しぐれ 猿も小みのを ほしげ也」は芭蕉がこの峠道を歩いていた際、時雨に打たれて震える猿の様子を見て詠んだものである。この辺りを歩くのは初めてなこともあり、雨にこそたたられていないが、近い経験をした今は、よりこの句の世界を鮮明に思い描くことができるようになった気がする。個人的に大学生の頃に指導を受けた教授が芭蕉の研究をしており、この句には馴染みもあったので、感慨もひとしおである。
そこからは、どんどん坂道を下っていくと上阿波の集落。伊賀市に合併した旧大山田村の前に、この一帯の集落で形成していた阿波村は、明治の長野トンネルの着工を発案し、大きな負担を担った。伊賀街道沿いの宿場町で、難所を克服するという強い決意や特産品の木炭を生み出す豊かな緑がその原動力となったことだろう。
そこから130年以上過ぎた現在、地域経済を支えた農林業を取り巻く環境も厳しくなり、この辺りにも高齢化と人口減少の波が容赦なく押し寄せていることは、国道沿いに連なる家々を見ただけでもわかる。軒先の様子や干されている洗濯物などから高齢者のみで生活しているのであろう家も散見される。
この地域に限ったことではないので、少し話はそれるが、昨今の都会への人口集中と、それに伴う地方の衰退にどう取り組めば良いのかということは常に頭をよぎる課題である。明確な答えというものはないが、そのヒントとなる言葉に最近出会った。その方は県内で林業に携わり、生まれ育った地域の活性化に取り組まれているが「田舎の人は夜の闇を明るくしようと考えるが、私の暮らす地域ではその闇のおかげで世界的に見てもトップクラスの数の星を観測することができる。闇を魅力的と気付けるかどうかが大切」と力強く語っていた。また、別の方だが「人口が少なくなった分、土地や資源などのリソースを都会に比べると一人頭換算で何倍も費やすことができる」という話も聞いたことがある。つまり、地元の人たちが何もないと思っているところには必ず何かがあるということだ。一度は消えかかったレコードやカセットテープが近年、若者に人気なように、魅力に気付けるかが非常に重要といえる。
この大山田地域でも豊かな自然と農林業という地域の魅力をより多くの人に伝えながら、地域活性化に向けた取り組みが行わているようだ。
国道に沿って流れる服部川。木津川に注ぐ清流は古より地域や街道をゆく人々の姿を見守り続けている。悠久の時の中で移ろい続ける人々の営みは変幻自在の水のようである。未来がどんな形になるかは今を生きる私たち次第なのかもしれない。(三重ふるさと新聞報道部長・麻生純矢)