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14時前。昼食で元気を取り戻した私は、下阿波から伊賀市駅に向かって、ゆっくりと歩いていく。国道にぴったり沿う形で流れる服部川。清流と呼ぶにふさわしい澄んだ水と山里が織りなす景色がなんとも美しい。山水という言葉には自然そのものを指す意味があることもうなずける。
しかし、私はこの川の流れを眺めながら、微かな違和感を感じていた。最初は気のせいかと思ったが、川に沿って歩き続けるうちに、その理由がはっきりと理解できた。水が〝逆〟に流れているのだ。
津市を含め、伊勢湾に面する地域やその周辺に暮らす人々が日常的に見かける川は、多少の違いこそあれど、概ね西から東に流れ、最終的には伊勢湾へと流れ込む。一方この服部川は東から西へと流れ、伊賀市の北部で木津川に合流。更に琵琶湖から流れる淀川と一つになり、大阪湾へと辿り着く。地域の特色を水に例え、それになじめないことを「水が合わない」とよく表現するが、実際に水が違うのである。 確かに伊勢湾に面する津やその周辺地域と、鈴鹿伊賀地域とは、文化圏の違いを感じることも多い。山に隔てられ、より大阪に近いという地理的な特性も大きく影響しているのだろうが、話し言葉も関西弁に近い。
また、アナログ放送時代は電波の都合で在阪局のテレビ番組が視聴できていたので、地デジ放送へ移行する際、県内の他の市町と同じように東海地方へと分類されたことで名古屋のテレビ番組しか視聴できなくなり、慣れ親しんできた番組が見られなくなることに多くの伊賀地域の人々が困惑したという。その結果、ケーブルテレビで在阪局の番組が視聴できるようになったというエピソードにも水の違いが表れている。
それははっきりと人々の気質にも表れているように思う。私も親しくしている伊賀の友人は何人かいるが、皆に共通するのは情に篤く、何事にも物怖じせずに立ち向かうところだ。良くも悪くも泥臭いことが持ち味で、津市など周辺市に比べると人口は少ないが一人ひとりが抜群の存在感を放っている。もちろん、一元論で語るつもりはないが彼らにはある種の憧れのような思いを抱いていたので、この川の流れにその一因を感じたような気持になった。
今日、上野市駅まで歩くことを、彼らには全く伝えていないが、どこかで偶然出会えないかなと心の中で思っている。川の流れに身を任せるように西へ西へと進む私の足取りと心は軽い。
ただ油断はできない。ここまで散々語ってきたことだが、モータリゼーションのしわ寄せで国道は徒歩に厳しい環境となっている。歩道も所々にしかなく、スピードの乗った大型車の往来を車道の端でやりすごすしかない。また歩道があっても落ち葉や湧水で機能していない箇所もあった。昼食で立ち寄った食堂でも国道を通行していた子供が交通事故の犠牲になった話や基本はバス通学であることなど、地域の交通事情を聞いた。高齢化が進み凄惨な交通事故が増える中、高齢者の免許返納も常識となりつつあるが、不意に国道で見かけた路線バスの時刻表を覗くと隙間が多く、普段の足としてはやや頼りない。美しい山里を取り巻く道路環境は想像以上に過酷なのである。
下阿波からは、川北、中村を経て、大山田支所前に到着。時刻は16時前。日没前に上野市駅に着くのは厳しそうだが、焦らず慎重に行くことにしよう。(本紙報道部長・麻生純矢)
2018年2月15日 AM 4:55
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