山の端に沈みゆく太陽(伊賀市真泥付近)

山の端に沈みゆく太陽(伊賀市真泥付近)

すっかり夜になり細心の注意を払って進む(伊賀市千戸付近)

すっかり夜になり細心の注意を払って進む(伊賀市千戸付近)

しばらくコンビニで休憩したものの、朝からの行程で蓄積された疲れは簡単に取れるものではない。体のあちこちに鈍い痛みが走り、足は根が生えたように重い。
時刻は16時20分。日没の17時が迫る中、心と体にムチを打って、再び国道を歩き始める。山の端に沈みゆく太陽の光が、あらゆるものを茜色に染めていく。ギリシャ神話には、昼を司る女神ヘーメラーとその母で夜を司る女神ニュクスが登場する。この二柱の女神は、世界の西の果ての地下にある館を住まいとしているが、一方が世界を巡り、もう一方が館で休む時に、それぞれ昼と夜が訪れる。そんな二人が館で共に過ごすほんのわずかな時間がこの夕暮れと朝明けと言われている。
歩き始めて30分ほど。宵闇のヴェールが世界を優しく包み込み、ありとあらゆるものを黒く染めていく。全てを白日の下にさらす太陽は人々に安心感と活力を与えるが、時に残酷である。対する暗闇は恐れの対象であると同時に、物事の美醜や耐え難い真実さえも塗りつぶし、あまねく人々に安らぎを与える。
こう文字に起こすとロマンティックだが現実は甘くない。なにせ昼食を忘れるくらいの粗忽者の私は何の根拠もなく、上野市駅に日没までに着けると高をくくっていたからだ。反射たすきや懐中電灯などを持ち合わせているはずもなく、国道には歩道がないので、車道の端を歩くしかない。体力を消耗し集中力も落ちているので、これまで以上に慎重に歩くことにする。
真泥、千戸と国道に沿って、一歩ずつ歩いていく。遠くからヘッドライトが近づくのに気づくたびに立ち止まり、可能な限り道路の端に身を寄せる。ドライバーも夕暮れ時に、道路の端を歩いている物好きがいるなんて思っていないだろう。大袈裟すぎるくらいで丁度よいのだ。
何度も立ち止まりながら進んできたので、今まで以上に歩くペースは落ち、大山田の出入り口にある千戸道路公園に差し掛かった辺りで完全に真っ暗。国道に沿って整備されているこの小さな公園は、モータリゼーションが進む中で、村外から訪れる人々を迎える役割も担うためにつくられた。
大山田村史には、高度経済成長期を経て日本が大きな発展を遂げる中、村内に国道が無く、他の道路の整備状況も遅れていることが、経済的な活動や社会的な活動を阻害しているという一文がつづられている。その焦燥感が、平成5年に県道だったこの道を国道に昇格させた原動力になったことは言うまでもない。明治の長野トンネルの着工に至った経緯もそうだ。外の世界とのつながりを求める強い思いが、この道を形作っているのだ。そんな確信を得ながら暗闇の中、大山田を後にした。
(本紙報道部長・麻生純矢)