亀井部会長(手前左)と倉田教育長(手前右)

亀井部会長(手前左)と倉田教育長(手前右)

2月28日、公益社団法人「津法人会」の青年部会=亀井隆典部会長=は市内49校の小学校と義務教育学校1校に、税金について学べる下敷きとテキストの寄贈を行った。
同会は納税意識の向上と企業経営の健全な発展を目的に活動。社会を支えている税金についての知識を広める租税教育を行っている。今年度も市内の公立小学校11校で5年生を対象に実施した。 国と津市の税金の歳入と歳出データをわかりやすくまとめた下敷きと、税金にまつわる様々な知識を楽しく読みながら学べる「タックスフントとけんたくん」を市内の小学校49校と義務教育学校1校の5年生を対象に各2600部を送った。
津市教育委員会庁舎で行われた贈呈式には亀井部会長ら同部会の会員が出席。亀井部会長は「子供たちには、小学校で行っている租税教育を通じて、思いやりで税が成り立っていることを伝えている」と挨拶。
それを受け、市教育委員会の倉田幸則教育次長は「子供たちに税の大切さを伝えることが重要。取り組みは非常にありがたい」と感謝した。

津青年会議所の中川理事長

津青年会議所の中川理事長

1月に公益社団法人・津青年会議所(会員66名、以下津JC)の第66代理事長に中川敬史さん=36・㈱ライフ・テクノサービス=が就任した。
昭和28年(1953)に創立された津JCは、今年で65周年。青年経済人の交流、自己研鑽、社会貢献を目的に活動。地域のイベントやまちづくりにも関わり、津の政財界で活躍する多くの人材を輩出している。
中川さんが理事長として掲げるスローガンは「雲外蒼天」。困難を努力で乗り越えれば、輝かしい青空が望めるという意味。会員たちが馴れ合いの気持ちを捨てて己を厳しく律し、良き規範となるために切磋琢磨することで人間的な成長が得られ、それが地域社会からの更なる信頼にも繋がるとしている。
そのために例会の価値をより高めるだけでなく津市の素晴らしさと進むべき方向性を知るために、世界各国に広がるJCならではの国際交流、全国や東海での活動にも積極的に携わっていく。
また、会員には活動とそれを支えてくれる自社の社員や家族との時間のバランスをしっかり取りその成果を地域社会・会社・家庭へ還元することを求めている。会員一人ひとりの成長が自社の成長や健全な家庭生活に繋がり、その結果、地域が発展する。そんな強い思いが込められている。
中川さんは「会員たちの成長を促し、地域のリーダーを育てていきたい」と抱負を語る。

山の端に沈みゆく太陽(伊賀市真泥付近)

山の端に沈みゆく太陽(伊賀市真泥付近)

すっかり夜になり細心の注意を払って進む(伊賀市千戸付近)

すっかり夜になり細心の注意を払って進む(伊賀市千戸付近)

しばらくコンビニで休憩したものの、朝からの行程で蓄積された疲れは簡単に取れるものではない。体のあちこちに鈍い痛みが走り、足は根が生えたように重い。
時刻は16時20分。日没の17時が迫る中、心と体にムチを打って、再び国道を歩き始める。山の端に沈みゆく太陽の光が、あらゆるものを茜色に染めていく。ギリシャ神話には、昼を司る女神ヘーメラーとその母で夜を司る女神ニュクスが登場する。この二柱の女神は、世界の西の果ての地下にある館を住まいとしているが、一方が世界を巡り、もう一方が館で休む時に、それぞれ昼と夜が訪れる。そんな二人が館で共に過ごすほんのわずかな時間がこの夕暮れと朝明けと言われている。
歩き始めて30分ほど。宵闇のヴェールが世界を優しく包み込み、ありとあらゆるものを黒く染めていく。全てを白日の下にさらす太陽は人々に安心感と活力を与えるが、時に残酷である。対する暗闇は恐れの対象であると同時に、物事の美醜や耐え難い真実さえも塗りつぶし、あまねく人々に安らぎを与える。
こう文字に起こすとロマンティックだが現実は甘くない。なにせ昼食を忘れるくらいの粗忽者の私は何の根拠もなく、上野市駅に日没までに着けると高をくくっていたからだ。反射たすきや懐中電灯などを持ち合わせているはずもなく、国道には歩道がないので、車道の端を歩くしかない。体力を消耗し集中力も落ちているので、これまで以上に慎重に歩くことにする。
真泥、千戸と国道に沿って、一歩ずつ歩いていく。遠くからヘッドライトが近づくのに気づくたびに立ち止まり、可能な限り道路の端に身を寄せる。ドライバーも夕暮れ時に、道路の端を歩いている物好きがいるなんて思っていないだろう。大袈裟すぎるくらいで丁度よいのだ。
何度も立ち止まりながら進んできたので、今まで以上に歩くペースは落ち、大山田の出入り口にある千戸道路公園に差し掛かった辺りで完全に真っ暗。国道に沿って整備されているこの小さな公園は、モータリゼーションが進む中で、村外から訪れる人々を迎える役割も担うためにつくられた。
大山田村史には、高度経済成長期を経て日本が大きな発展を遂げる中、村内に国道が無く、他の道路の整備状況も遅れていることが、経済的な活動や社会的な活動を阻害しているという一文がつづられている。その焦燥感が、平成5年に県道だったこの道を国道に昇格させた原動力になったことは言うまでもない。明治の長野トンネルの着工に至った経緯もそうだ。外の世界とのつながりを求める強い思いが、この道を形作っているのだ。そんな確信を得ながら暗闇の中、大山田を後にした。
(本紙報道部長・麻生純矢)

[ 2 / 8 ページ ]12345...Last »