私は毎朝、モーニングを済ませて自宅に帰る前に寄る店がある。その店を利用しているもう一人の老女もまた、モーニングをしているのである。今朝(4月12日)も、私が店に入る時のこと、彼女がモーニングを済ませて帰る時間と重なったのである。
「もう帰るの 気をつけて」と、何時ものような挨拶を交して手を振った。すると近づいてきて彼女がこう切り出した。
貴方に見せたい場所があると、言うのである。「あーそう」と言いながらドリンクバーのコーヒーをカップに入れてモーニングを注文しようとした時のことである、再び私の側にきて見せたいと言うのである。
「じゃー今から見に行こうか」と、飲みかけのコーヒーをそのままにして店を出て彼女の後を追うようについていった。すると、歳に似合わず軽やかな足取りで歩いて行く後ろ姿に驚きを感じた。
そして、今度は私の方を振り向いて自分の死について語りはじたのである。私には生きる賞味期限がないのよ。色々考えていると言うのである。その後は多くを語らなかった。しかし、その時私は一瞬テレビに報道された評論家の西部進さん(享年78歳)の顔を思い浮かべていたのであった。
若い頃から百戦錬磨の人生を経験してきた90歳を過ぎたこの女性も、生と死の狭間に立って、自分をみつめ、その終焉に思いを巡らしていることを痛切に感じたのであった。
そう言えば、半月ほど前にも一人で死ぬために自宅をリフォームして、ヘルパーさんの動きやすいようにしていると話していたことを思い出したのである。
そのうち、彼女が私を案内したいと言っていた、その場所に着いたのである。店から歩いて僅か5分ほどの場所だった。そこは、津球場の敷地内の北東に位置する場所で、辺りは植栽を施した木々が茂っている場所だった。その片隅にピンクや・赤・黄色のチュウリップが、彼女と私を待っていたかの様に咲き誇っていた。そばに近づいてみると野鳥たちが「チュッチュッ」と鳴きながら、私たちが来たことを歓迎するかのようにはしゃいでいるのである。
チュウリップの花の周りを丸い小石で囲み、花壇の体裁を整えていて、真ん中にはアオダモの樹木が2本植えてあった。しかし、1本は枯れている。津市の公園課も管理を怠っているのか、そのまま放置されている。
標識には、学名 フラキスナとある野球のバットを作る木のようで、温帯性広葉樹とある。下段には「第85回全国高等学校野球選手権記念大会記念植樹 2003年7月19日 朝日新聞社 三重県高等学校野球連盟」と記るされている。今から15年前の記念樹であることが読み取れる。今年も例年と同じく白球を追う少年たちの姿を思い浮かべたのであった。
モーニングを済ませた彼女は、この場所に来て口笛を吹くと、小鳥たちが集まって来ると言う、実に微笑ましい風情ではないか。時にはギャング(カラス) も飛来する。そして逃げまどう。
そのあと、彼女は球場の周囲を3回廻り散歩して、時間通りに巡回してくるピンク色のバス(身体障害児を送迎しているバス)を見送って自宅に帰るのが日課と言う。実に自分を律した生き方だと感動するばかりである。
彼女にとって野鳥たちとの語らいは、正に直面している死と重ね合わせているかのようで、自分がいなくなった後の野鳥たちの行く末を案じているかの様に、優しい眼差しで、私に語りかけて来るのである。
何れにしても彼女の生と死の狭間で揺れ動く命の波動が私に伝わって来るのである。
彼女は今もお洒落を忘れない。そして、明るく毎日のように衣装を替えて店に現れる時にはパンツルックで、時にはワンピースで、時にはブレザーを纏い、帽子をかぶり、手作りの花のブローチを胸元にあしらい、可愛くて優しく愛嬌を振りまく店の人気者のお婆ちゃんである。
人生100年時代と言われている昨今、ますます人気者の存在を願いたいものである。
2018年4月12日記