南山城村と笠置町の境目

南山城村と笠置町の境目

木津川にかかる大河原橋(恋路橋)

木津川にかかる大河原橋(恋路橋)

南山城村役場を過ぎるとJR関西本線の大河原駅。時刻は15時半過ぎ。車の置いてある上野市駅まで帰るのに電車を使う必要があるが、日没までにはまだしばらく時間があるので、ここでの乗車は見送る。
この一帯(当時は南山城村へ合併前の旧大河原村)は昭和28年(1953年)8月14日に発生した時間雨量の100㎜にも及ぶ豪雨による土砂崩れが発生。南山城村史に記載されている当時の駅長の言葉を借りると、大河原駅舎も「この世のものとは思われない、ものすごい山鳴りをともなってあっという間に」山津波で飲み込まれてしまった。それは木津川に沿って広がる旧大河原村の集落全体を横なめにし、未曽有の損害を出している。その際、山の中腹にあった共同墓地が崩れ、集落の入り口には頭蓋骨が転がる地獄絵図だったそうな。
もちろん、今はそんな過去を全く感じさせないのどかな風景が広がっている。自然と共に生きるということを口にするのは容易い。我々はその恵みばかりをイメージしがちだが、時には試練を課す厳しい一面を忘れてはならない。だからこそ、その試練を乗り越え、この地域に今も人々が暮らしていることを素晴らしく思うのだ。
駅を過ぎると、村内に唯一残る沈下橋の大河原橋が見える。沈下橋とは橋桁と橋脚のみで構成された橋。増水時に土砂や流木などが引っ掛かり橋が破損したり、川の水をせき止め洪水を引き起こす原因とならないように、このような構造となっている。
昭和20年に竣工され、今も地元の人々に使われているこの橋には、恋路橋という粋な通り名がついている。川面に月影がきらめく夜、北大河原と南河原を結ぶこの橋の上で、逢瀬を重ねる男女の姿を連想せずにはいられない。老朽化によって姿を消している沈下橋だがいつまでも残しておきたい村の風景である。
その後、再び国道はバイパスと合流。しばらく進むと南山城村と笠置町の境にさしかかる。見た目には、どこにでもあるような景色だが、津市を出発し、境を一つ超える度に言い知れぬ達成感を味わうことができた。
しばらく歩き詰めで、足が悲鳴を上げているので境の付近にある町の運動公園で少し休憩。時刻は16時過ぎ。やはり、今日の目的地は笠置駅になりそうだ。(本紙報道部長・麻生純矢)