竹島実行委員長、熊谷副実行委員と入賞者たち

竹島実行委員長、熊谷副実行委員と入賞者たち

山本日本語教育センターを支援する会=岩澤理夫会長。会員11名。賛助法人4社=は5月27日、カンボジアシェムリアップにあるJ7ホテルで、「第9回日本語スピーチ大会表彰式」を行った。
カンボジアは近年経済成長が著しく発展。シェムリアップ市内でも大型ショッピングモールなど、数多くの開発が行われており、ホテルも多数オープンしていることから、「観光面においても日本語を話せる事が、自立した収入を得ることに繋がる」と竹島実行委員長は同スピーチ大会の重要性を訴えると同時に「9回目となる今回も非常にレベルの高い大会だった」と話した。
同会では、記念すべき第10回を迎える来年は入賞者を三重県津市に迎えて津の文化に触れてもらうことを企画している。
山本日本語教育センターの飯井センター長は、「9年に渡り、カンボジアシェムリアップでの日本語教育に支援していただき、心から感謝を申し上げる」と挨拶。
厳正な審査の結果、優勝は、リーソパンナイ君、準優勝はマエンダラー君、3位にはルンティアリー君を選考。
また、ボウシエンホン君、レンスレイモムさんの2名に会長特別賞が贈られた。
このほか、入賞者にはメダル、賞状、記念品(自転車、ソーラ腕時計など)、さらにスピーチ大会参加者60名全員に2000円分のお菓子のセットを贈呈した。

木津川と河川敷のキャンプ場

木津川と河川敷のキャンプ場

桜並木と笠置大橋(奥)

桜並木と笠置大橋(奥)

トンネルを抜けると、間もなく笠置町役場。そして、木津川にかかる笠置大橋が見える。
今やこの地域で暮らす人々にとって欠かせない存在であるこの鉄橋。大正8年に前身のつり橋が完成するまでは、対岸と行き来するのに渡し舟を利用していた。しかし、雨で増水すると渡れなくなるなど、利便性が悪かったため、当時の村長であった新田直尚が一念発起。建設費を賄うために金策に奔走するだけでなく、自らの財産まで投じ完成させたという壮烈なエピソードが残る。
笠置町は、山や川が織りなす絶好のロケーションなど、豊かな自然を観光にも活用。木津川のほとりに点在する巨岩をボルダリングや、清流の中で楽しむカヌーなど、若者にも人気のスポーツが盛んだ。また、地域創生事業としてボルダリングを題材とした映画「笠置Rоck」を制作。まさに「山椒は小粒だがぴりりと辛い」という諺を体現している。
笠置大橋の下の河川敷は今はキャンプ場となっており、大阪方面からも多くの人が訪れている。夏日だったこの日は平日にも関わらず、桜並木を楽しみながらキャンプに興じる人が多数いた。
ちなみにこの辺りの河原は、江戸時代の木津川水運で重要な役割を果たしていた。水深の関係上、関西の大都市と行き来していた帆掛け船が、この浜より上流には行くことができなかった。そのため、ここより上流の南山城村方面から大都市に売るために、小さな船で特産品の炭などが運び込まれ、荷物の上げ下ろしが行われていた。つまり、貿易港だった訳だ。
時代が変わり、人々の暮らしも変わり、この河原の役割も変わった。しかし、今もこの町に多くの人々が訪れるきっかけになっている。
時刻は17時半。私は、今日の目的地のJR関西本線の笠置駅をめざし、笠置大橋を渡る。駅の周囲には、昔ながらの商店が軒を連ねている。日没までには、少し時間があり、キャンプ場の周辺にある満開の桜並木を見物しようかとも考えたが、帰りの電車の時間を考えると潮時だ。ようやく駅にたどり着くと、大きなカメラなどの撮影機材を抱えた若者がキャンプ場の方へと向かっていく。恐らく夜桜を撮影するのだろう。
切符を買い、伊賀方面の乗り場に向かうため、跨線橋を渡ると窓から夕日に彩られた満開の桜並木が目に飛び込んでくる。来年はゆっくりと見物に訪れよう。そう思いながら、電車に乗り帰路へついた。(本紙報道部長・麻生純矢)

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