007シリーズで有名な小型セミオートマチック拳銃 ワルサーPPK

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007シリーズ第25作の監督がダニー・ボイルに決まった。『スラムドッグ$ミリオネア』でアカデミー監督賞を受賞したボイルは、2012年に開催されたロンドン五輪開会式の演出を担当。会場で流された映像には、ダニエル・クレイグがボンド役で、エリザベス女王が本人の役で登場していた。
配給会社も決まった。北米ではMGMと提携を結んだアンナプルナ・ピクチャーズ、海外市場とホーム・エンターテイメントはユニバーサルである。ただし、デジタル配信とワールドワイド放映権はMGMのようだ。
クランクインの予定は今年の12月3日からで、英国での公開は2019年の10月25日から、米国では11月8日からとされている。どうやら世界を股にかける暇(いとま)のない作品になりそうで、『ゴールドフィンガー』や『007は二度死ぬ』のように、一、二カ国に腰を据えた作品になるやも知れません。
私が初めて007映画をテレビで見たのは、1974年春の番組改編期の『日曜洋画劇場』で、作品は『ゴールドフィンガー』だった。ショーン・コネリーの声は若山源蔵ではなく日高吾郎で、平均視聴率は26・7%を獲得。外国映画の全盛期であった。
この頃の日本の民放は、豊富な洋画放映枠を用意していた。その本数は週10本をくだる事は無く、成人映画を除くとあらゆるジャンルに及んだ。
もちろん、それは4対3のテレビサイズであり、途中でCMが入ったり、カットが入ったり、中には原型を留めぬ程に日本語版が改変されたものもあった。今のBSやCSとは全く比較にならない程の低品位だったのだ。
それでも、第二次大戦ものには自由と民主主義、史劇スペクタクルものにはキリスト教的価値観、正統派西部劇にはフロンティア・スピリットが根付いており、かと思えば、ニューシネマやヌーベルバーグには、そういった価値観に対する疑義が提起された。民放の洋画劇場は、沢山の名所・旧跡と共に、多様な価値観を茶の間に持ち込んでいた。空気のように、それも無料(ただ)でだ。これらが、世に言う団塊世代を海外旅行へと誘った一つのきっかけだった事に、異論を挟む余地はないだろう。
ひるがえって、昨今の民放のゴールデンタイムの主流は、日本でしか通用しない芸人によるバラエティ形式の番組が幅を効かせ、コンテンツの劣化が深刻である。海外紀行やドキュメンタリー番組も、日本の輸出政策対象国が目立つばかりだ。貿易摩擦解消の一助だったとはいえ、複数のB級映画とセットで超大作映画の放映権を7億から8億円も払って買っていた頃と比べると安直に過ぎる。技術革新は、ハードウェアを劇的に改善したが、引き換えにソフトウェアは劇的に劣化したようである。
6月12日にワシントン連邦地裁は米国通信大手の「AT&T」による「タイムワーナー」(米メディア大手)買収承認の判決を出した。司法省は上訴を検討中だ。とはいえ米国における放送と通信の融合はもはや不可避のようである。
そのうち衛星回線を使って全世界一斉ロードショーも実現するであろう。もちろん、テレビ界の淘汰再編も例外ではない。日本もだ。
(O・H・M・S・S「大宇陀・東紀州・松阪圏サイトシーイング・サポート」代表)