青田をわたる風がさわやかな初夏の季節を迎え、みずみずしい新緑に衣替した庭には、アジサイの花が咲き、辺りでは、夏の訪れを告げる甘い香りの百合の花も咲き始め、雨季の時季が近いことを知らせてくれます。

今回は、私が大変好きな、初代平岡吟舟(安政2~昭和9)について、御紹介したいと思います。
平岡吟舟は、明治の古典小唄完成期に「清元お葉一派を後援し、最も活躍した大通人で、明治35年には、三味線声曲を集大成して、新歌曲「東明節」を創始し、家元となり、初代吟舟を名乗りました。
「東明節」は派手で上品な家庭音楽を志して、従来の邦楽を集大成し、自ら作詞作曲した三味線音楽の唄ものでした。その傘下で後、活躍したのが、吟甫の名を初めて許された「吉田草紙庵」でした。この派の狙いは、江戸時代の諸流音楽(長唄清元等)の粋を集めて一丸としたところで、家庭音楽として、はずかしくない健全な唄い物であるという点でし。作曲には名流の長所を採り入れ、一曲をなすのを常としていて、その作詞の格外れが、かえって趣きを出し、得がたい作曲であったといわれており、江戸時代から昭和初期まで、吟舟の作品は百曲に及びます。

 引 潮
初代平岡吟舟詞曲

引潮の流れにまかす  舟のうち
月の影さえ朧夜に   浮きつ沈みつ三味線  の
音もやさしき桂川   昔偲ぶや時鳥

 明治29年歌舞伎興行の時、吟舟翁が五代目菊五郎の「魚屋の茶碗」のために作った小唄といわれております。
江戸時代から明治にかけ、大川(隅田川)を利用して、舟遊びがさかんで、この唄は初夏の大川端の情緒を六下りの調子で表しております。
「魚屋と茶碗」とは、古くに支那から渡ってきた底の浅い器で、皿盛に使っていたものを茶人がゆずり受け、それを千利休に見てもらうと、夏茶碗に格好と「魚屋の茶碗」と命名されたと伝えられています。
 真の夜中
初代平岡吟舟詞曲
 真の夜中に 朧の月  を眺むれば
てっぺんかけたかの  一声は
うどんの餡かけ
蕎麦屋のぶっかけ
按摩の駆け足
夜番の拍子木
明けりゃまだまだ一  寝入り
 この小唄は吟舟翁が明治から大正初年にかけて吉原に情緒を回顧して作詞した、昭和初年の初夏に作ったものです。
新吉原遊廓は、当時も午前2時迄は太鼓を入れ、三味線は夜っぴて、ひと晩じゅう弾いて騒いでもかまわない別世界でした。この小唄は、その騒ぎが済んだ妓楼で、泊まりの客がふと眼を覚まして、朧の月の照る廓の風景をながめている様子を唄っております。
「てっぺんかけた」の一声は時鳥の啼き声で、鋭い気迫があり、このように聞こえたのでしょう。
湿度の高い日が多く、どんよりした空模様には気がめいります。くれぐれもお体を大切に。
(小唄 土筆派家元)
 三味線や小唄に興味のある方、お聴きになりたい方、稽古場は「料亭ヤマニ」になっております。お気軽にご連絡下さい。又中日文化センターで講師も務めております。
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