2018年7月

一筆ごとの所有者や境界など、土地の実態を正確に把握する『地籍調査』は、大災害発生後の復興にも大きく貢献することで近年、注目を集めている。津市では『津市地籍調査事業計画』に基づき、南海トラフ大地震発生時に大きな被害が予想される国道23号以東の沿岸部を10カ年計画で集中的に調査している。

 

国土調査法に基づき行われている地籍調査。一筆ごとに土地の所有者、地番、地目を調べ、境界の位置と面積を正確に把握することが目的。
なぜ調査が必要かと言うと、登記所に備えられている地図や図面の多くは、明治時代の地租改正時に作られたもので、土地の境界や形状が現実とは異なっているケースが多いため。調査を終えると正確な情報が登記所の登記簿に記載される。
調査は、全国の市町村が主体となって行っているが、他の施策に比べると即効性が低く、膨大な時間と費用が必要で、全国の進捗率は平成29年度末で52%にとどまる。
だが、近年では東日本大震災を契機に地籍調査の意義が再認識された。津波で甚大な被害を受けた被災地で、大幅な経費削減と共にいち早く復興にこぎつけることができたからだ。調査が終了していないと、官地と民地の境界がすぐに確定できず、道路や水道管などの生活インフラの復旧が遅れる可能性もある。
津市の進捗率は約3%と低いが、南海トラフ大地震の発生が危惧されることもあり、本腰を入れて調査を開始。具体的には「津市地籍調査事業計画」に基づき、北は河芸町から南は香良洲町まで津波による浸水被害が予想される国道23号より以東の沿岸部を10年という短期間で調査を行う。
調査面積そのものは計15・33㎢と小さく見えるが、人口集中地区でもあるため、非常に効果が大きい。全国的にも人口集中地区は、境界立ち合いを行う地権者数が多く、進捗率24%にとどまる。計画が終わる2024年度には、都市部の進捗率は現在の7・62%から42・67%と向上する予定。先進的な手法として、国からも注目されている。
公益社団法人・三重県公共嘱託登記土地家屋調査士協会の協力も受け、平成27年度より香良洲町で調査を開始。昨年度には建設部内に専門部署の用地・地籍調査推進室を設立。平成23年度は担当職員1名で決算額1230万円だったが平成29年度は担当職員8名で予算額1億3千352万円と力の入れ具合が伺える。
計画より2年早く、今月18日から河芸町の東千里で調査に着手。対象は住宅地や農地など1986筆で調査期間は1年。東千里自治会の中に地籍調査の推進協議会を設置し、スムーズな受け入れができるよう準備を進めてきた。
初日18日には、市職員と同協会所属の土地家屋調査士が、地権者立ち合いのもとで、道路や赤道や水路など、官地と民地の境界線を測量。杭を打ち込み確定していた。
自治会長の後藤輝人さんは「災害が発生した場合、復興やインフラの回復などに非常に重要な役割を果たす」と話した。長年、市に対して、調査の意義を訴え続けてきた土地家屋調査士・後藤昭久さんも「いざという時には必ず役に立つ」と改めて強く語った。
地籍は目に見えないが我々の生活を支える重要なインフラ。調査完了に向け、行政の取り組みだけでなく、境界立ち合いなど市民の積極的な協力も重要となる。

「超ド迫力!ヒレアシ王国」

「超ド迫力!ヒレアシ王国」

鳥羽水族館がトドやアシカ・アザラシを展示する「海獣の王国」を全面リニューアルし、今月20日に「超ド迫力!ヒレアシ王国」としてオープンした。
巨大な透明チューブの中を歩くと、すぐ下にはアザラシ達が泳ぐ姿、横には体重700㎏を超える巨大なトドが見える。
リニューアルオープンを記念し、9月2日㈰まで特別イベント「まるっと、ぐるっとヒレアシ祭り」を開催中。参加料=入館料のみ必要(一部有料イベントあり)。
エサやりや触れあい、特別バックヤードツアーなど体験型イベントが盛りだくさんで、ヒレアシ類を身近に感じることができる。

「和同開珎」の鋳造所があったことを示す碑

「和同開珎」の鋳造所があったことを示す碑

国道163号線沿いの風景

国道163号線沿いの風景

和束町を超えるといよいよ京都府木津川市へ。平成19年に木津町、加茂町、山城町が合併して誕生した市。その名が示す通り、国道163号に沿って流れる木津川がこの地域の歴史や文化を語る上でも欠かせない存在となっている。
津市から国道を西へ進むと、同市の入口に当たるのが旧加茂町。この辺りは、津藩が玉城町にあった田丸城を御三家の紀州藩に譲る代わりに得た山城地域の領地。津市ともゆかりが深い。淀川へ注ぐ木津川の水運は、津藩にとっても非常に重要な財源にもなっていた。近年、日本一の城づくりの名手として再評価が進んでいる津藩祖・藤堂高虎公も大坂城再建の際にはこの地から石垣用の石を切り出し、船で運んだ。その名残として、使われなかった残念石がいくつもも残っている。
この加茂町を国道に沿って歩くと、最初に入る地域が銭司。〝銭〟という文字は、現代の語感からすると、なにやら俗っぽく思えてしまうかもしれないが、誰もが知るあの貨幣が鋳造されていたことに由来する名前。そう、日本最古の貨幣・和同開珎だ。
立地条件的にも、当時の都である平城京からほど近く、陸路、水路共に交通の便が良かったことや、当時の日本になかった高度な鋳造技術を持った渡来人が付近に多数暮らしていたことが、この地が選ばれた理由と推察されている。
発掘調査によって、貨幣そのものだけでなく、鋳造に使ったるつぼ、鋳型、ふいごなども発掘されている。古の造幣局というわけだ。
生まれた時から、東京を中心とした文化に慣れきっている我々、現代人からすると、この辺りはのどかな山里という感覚でしかない。しかし、都が奈良や京都にあった時代には、都会からも非常に近く、陸水共に明るい交通の要衝という性質を持っていたのだ。
歩くという行為は、そういった古の人々と自身の感覚をすり合わせるにはうってつけ。頭でわかっているつもりの理屈を真の意味で理解するための貴重な手段でもある。
国道163号沿いにはこの地が和同開珎の鋳造所であったことを示す碑が建てられている。
ここまで、大した距離は歩いていないが、足が重い。国道の狭い路肩で、大型トラックをやり過ごすのは、少し大袈裟に言えば、命がけなところもあり、体力以上に神経をすり減らしていたようだ。碑の近くに腰を下ろし、古の貨幣経済を支えたこの地の往時の姿にしばし、想像を巡らせながら、心を落ち着ける。
(本紙報道部長・麻生純矢)

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