故事・ことわざ辞典で調べものをしていた時のことである。猫の首に鈴を付ける云々、が目に止まったのである。これは「イソップ物語」の寓話に基づくとある。
猫の首に鈴を付けるという表現はしないが、人間社会では常に用いられている。特に政治の世界においても、企業やその団体においても、日常的に行われている行為である。思い起こせば、私が所属していた業界の(屋外広告)役員の中に長期に渡る会長職にしがみついて、自ら勇退をしない高齢の大先輩がいて困り果てていた。
組織の人達は、本人の居ない所では言いたい放題の陰口は言っても、いざとなれば本人の前で何も言えないと言う情けない状況が続いた。
そんなある日のこと、私がその話を耳にしたのである。その問題が解決すれば停滞していた組織は活性化し、人材の刷新も図れると期待は大であった。そこで、その役員の首に鈴を付ける、手助けをすることになった。
その役員は、同じ地域に気心の通じるもう一人の役員がいた。私も心をゆるせる人物だったので、その役員に宛てて手紙をかいたのである。
手紙には、人間引き際を間違えると自身の人間性はおろか、信用も感謝されていたことも全て失うと。しかも、勇退は自身の花になる云々と、付け加えておいた。それを貴方の口から言って諭してやっては如何なものかと言い含めたのである。
後日、手紙を送った、その役員から電話があり、驚いたことに、私の手紙を、そのまま問題の役員に、こんな手紙が三重県の私から来たから読んでおいてくれと、いきなり手渡したと言うのである。なんと言う馬鹿なことをしてくれたものだと思ったが、後の祭りである。私は三重県で、彼らは名古屋と言う地域差もあって、気になりながらも暫く様子を見ることにして、時が流れるのを待っていたのである。
すると、鈴を付けられた本人から直接電話があって、手紙を読んで、よくよく考えたら君の言う通りだと反省していると言うのである。そして、全ての役職を辞任したい旨を協会に申しでたそうである。これで一件落着はしたものの、大先輩への失礼な行為について心を痛めていた。後に、息子さんに会う機会が有って話を聞くと、親父は貴方に感謝していて、お前から宜しく伝えてくれとのことであった。それを聞いて、やっと胸を撫でおろしたのである。
それから暫くして、今度は東京でも名古屋似上に厄介な問題が起こっていた。その役員は東京の地区に所属していて四期八年、会長の職を続けていていたので、うんざりしていると言うのである。その役員は連合会の会長も兼ねていたので複雑である。まして、業界では天皇とまで言わしめた人物である。業界では珍しく東大出のバリバリで、威厳も寛容も備わった風格のある人物で、誰も口出しができなかったと言う。
しかし、組織の刷新を図るためには、鈴を付けるしかないと誰もが思っていたようである。
ちょうどその頃、損保に絡む収益事業の不備が、内部告発によって表面化した。その内容は十数年間に及ぶもので、総額にして、なんと億にも及ぶ膨大な手数料が、大手の損保会社から協会へ支払われる筈の収益事業であった。本来は、決算報告書に明示されるべき事案が審議されてこなかった執行部の責任は重い。それに対する、理事会への質問状である。
そして、総会前に行われる、年に一度の常任評議員委会に出席したのは、委員になって二度目の出席であった。忘れもしません。東京は日比谷公園の野外ステージから向かって、右手に中国の周恩来首相が立ち寄ったと言う、洋風の洒落た松本楼が緑に包まれて、白い外壁の佇まいを漂わせていた。一階はレストランになっていて、二・三階は会議室で、その三階は円卓の会議室になっており、八十人はゆうに座れる広さの部屋がある。
協会の常任評議委員は、全国四十七都道府県からなり、その中から理事が十二名、監事が二名、それに正副会長と専務理事一名で構成されており、毎年その会議において総会のための審議を尽くすのである。現在では、かなり会員数が少なくなったが、当時は四千五百社の陣容を誇っていた。
会議は恒例の順序に基づいて進行し、最後の議題であった質問事項で指名を受けて質問に立った私だったが、会議室は一瞬静寂に包まれた。私にも緊張が走った。質問状の内容に沿って質疑始まったが、出席者からは誰一人として異議を唱える者はいなかった。むしろ静寂はその後もつづいた。たまりかねた司会者から、出席者に対して案件について、力を込めて問いかけたのである。すると、理解をされたのか会場にどよめきが起こったのであった。そのあと、誰となく執行部への退陣要求が出され、次なる組織の刷新について意見が交わされ、新しい執行部の陣容が次々と決議され、総会への準備が整っていった。
後に行われた懇親会では、寂しさを覗かせていた会長に労をねぎらい、握手を交わし再会を約束して会場を後にした。
これも内部告発を契機にした、猫の首に鈴を付けるに等しい所作であったのではないかと思うのである。