乃ぶ代さん(今月4日撮影)こうさんの娘の乃ぶ代さん(左)たち。

乃ぶ代さん(今月4日撮影)こうさんの娘の乃ぶ代さん(左)たち。

朗読会参加者が制作した灯籠

朗読会参加者が制作した灯籠

昭和17年、出征前日の浩三さんと、姉のこうさん(右)、

昭和17年、出征前日の浩三さんと、姉のこうさん(右)、

津市の庄司乃ぶ代さん(79)は、1921年に旧宇治山田市(現在の伊勢市)で生まれた天性の詩人で戦死した竹内浩三さんの姪。生前の浩三さんを知る血縁者のうち、ただ一人の生き証

人であり、軍国主義の窮屈な時代に生き、出征してもなお瑞々しい感性で多くの詩や日記、手紙を書き続けた浩三さんのことを語り継いでいる。終戦の日を前に話を聞いた。
浩三さんは地元で有数の呉服店に生まれ、日本大学に入学。42年、久居の中部38部隊に入隊。その後、筑波の滑空部隊に転属し45年、23歳でフィリピンで戦死。「骨のうたう」「日本が見えない」など、民衆の声を代弁しているようであり、時代を越えて共感を呼ぶ詩を多数残した。また戦争を「悪の豪華版である」などと痛烈に批判した。
そして乃ぶ代さんは子供の頃、亡き母・こうさんや、こうさんの弟の浩三さんらと暮らしていた。浩三さんについて「子供好きで、すごく可愛がってもらった。本人は自分のことを詩人だと思っていなかったんじゃないかと。自分の気持ちに正直に書いた言葉が、詩になっているという天性の詩人だと思う」と話す。
また乃ぶ代さんは3人姉妹の長女(妹2人は故人)で、戦中の44年、生まれたばかりの三女の芙美代さんへ浩三さんが次のような手紙を書いた。「オ前ノウマレタトキハ、オ前ノクニニトッテ、タダナラヌトキデアリ、オ前ガソダッテユクウエニモ、ハナハダシイ不自由ガアルデアロウガ、人間ノタッタ一ツノツトメハ、生キルコトデアルカラ、ソノツトメヲハタセ」(一部抜粋)。「こんな手紙をもらった妹を羨ましいと思いました」。
今年2月には津市で浩三さんの作品の朗読会が開かれ、乃ぶ代さんが解説した。これに参加し心を動かされた人が、浩三さんの詩を書いた灯籠を制作し、護国神社のみたま祭で奉納。乃ぶ代さんはこの反響を喜び、「とにかく皆さんに竹内浩三の詩に親しんで頂けたら」と話している。
なお12月22日・23日に伊勢市観光文化会館で青年劇場が「きみはいくさに征ったけれど」を上演する。浩三さんと現代の高校生が出会う話。