谷川士清の会では、会員が研究したものを発表する場として「勉強会」を設けています。一般公開をして広く質問をいただき発表者がお答えする「講演会」でなく、あくまでも会員の勉強の場として発表者と参加者の意見交換を軸に共に意識を高めていく主旨で、もう十年ほどになります。私は国文学は専門外ですが、代表、そして今は顧問の立場から、これなら取り組めるかなと思えるテーマを選び、数回発表してきました。昨年から『勾玉考』について勉強し発表しています。
谷川士清の会が発足以来、顧問として会員に士清の基礎知識を教授してくださった故三ツ村健吉先生が平成十四年十月に津中央公民館で二度「谷川士清著『勾玉考』をめぐって」の演題で講演されました。私はその時、まだ県立高校の数学の講師をしており出席できず、先生に後からプリントだけいただきました。先生の書き下し文と意訳が書かれており、一通り目を通し「むずかしいな、でも士清さんはこんな変わった内容の本も書かれたんだな。又改めて時間のある時、しっかり読み直そう」とファイルに入れ、そのままになっていました。
二年前、津市図書館で『勾玉考』の原本を拝見し、珍しい石の名前、見慣れた地方名等、二十六頁ばかりの小著の中身に興味をそそられ図書館に足繁く通い、難しい漢文との対話を始めた次第です。士清さんは神道家でしたので習慣として下書きや書き損じは反古塚に埋めました。『勾玉考』も『倭訓栞』等と一緒に反古塚に埋められました。士清さんにとって『勾玉考』は小著といえども大事な著作であることがわかります。
『近世国語学者の研究』北岡四良著の中に(有名な近江の木内石亭の『雲根志』の『雲根志相違御落握云々』の文辞で「伊勢国津に奇石を翫ぶ人、谷川氏、福田氏、岡氏、菊池氏等あり、此人々鯛魚の腹中に得たる石を珍蔵する云々」とあります)人物は谷川士清、福田正芳、岡藤左衛門、菊池宗雨のこと。士清さんの周辺には富裕な階層の間に奇石を集めて愛でる弄石家がいたようです。また、赤尾元圭に士清さんの方から石についての書簡を出しています。士清さんは弄石趣味だけにとどめず、日本書紀や風土記の研究をより実証的にするために位置付けていたようです。
以下、『勾玉考』に出てくる地名と書物名をあげてみます。ここにも士清さんの並外れた研究態度が窺えます。
  地名
○大和の国城上郡釜口山長岳寺(奈良県天理市にある高野山真言宗の寺)
○三輪山(奈良盆地をめぐる形の良い円錐形の山)
○筑紫(九州)
○蝦夷(北海道)
○近江州(滋賀県)
〇尾州(尾張)
○遠州敷地郡(静岡県)
○葛下郡(奈良県にあった郡)
○長瀬神社(鈴鹿市長沢町にある)
○安濃郡長岡山(津市長岡町北部丘陵)
○安濃郡五百野邑(津市五百野)
  書物
○神代紀  ○儀式帳
○古事記  ○萬葉集
○姓氏録  ○芸文類聚
○本草綱目 ○聖武紀
○崇神記  ○周礼
○神武紀  ○文海披抄○恠神録  ○三韓伝
不思議なことに、いつも士清の書籍にふれたり、士清研究の書籍をよむとき、あのふくよかなお顔が浮かんできます。
今年のように暑い夏ではないにしても、夏の間はどのように涼をとられていましたかとお聞きしたくなります。(谷川士清の会顧問)