主に津市美杉町の事業者で構成する「Inaka Tоurism推進協議会」=事務局・美杉リゾート(同町八知)=の会員らが近々、町内の宿泊客を増やすため空き家などを生かし農泊・民泊を開く。協議会が、各宿への予約を受け付け、宿泊客を対象に、送迎・地域資源を生かした体験メニュー・地元の鹿肉料理などの食事を手配。過疎化が進む同町の経済活性化を目指す。

 

美杉町で来年、民泊として開業しInaka Tourism推進協議会に加盟する予定の施設。映画「ウッジョブ!」の撮影場所でもある

美杉町で来年、民泊として開業しInaka Tourism推進協議会に加盟する予定の施設。映画「ウッジョブ!」の撮影場所でもある

Inaka Tourism推進協議会が提供する林業体験の様子

Inaka Tourism推進協議会が提供する林業体験の様子

総面積のおよそ9割が山林の美杉町は過疎化が深刻で、約20年前に9000人台だった人口は、6月末時点で約4400人まで減っている。
そんな中、町内の事業者らが2016年に設立した「Inaka Tourism(いなかツーリズム)推進協議会」=会長・中川雄貴美杉リゾート代表取締役(34)、会員約20名=では、地域資源を生かして林業・伊勢本街道巡りなどの体験メニューを提供。ツーリズムを軸に地元の各種産業を繋ぎ、地域経済を活性化しようと活動してきた。
中川会長はこの取り組みを通じ、日帰り客と比べ、滞在時間が長く観光消費額の多い宿泊客を増やす必要性を実感。しかし、実現には、町内の祝迫施設がホテルは美杉リゾート(客室=76室と16棟)のみと少ない、公共交通アクセスが不便、飲食店が少ないなどの課題がある。
そこで同協議会会員が、農村漁村に宿泊し住民との交流を楽しむ「農泊」のブームに合わせ、町内の空き家などを生かし農泊・民泊を始めることとなった。年度内に約4施設を開業予定で、将来的には加盟施設を10施設まで増やすことを目指している。また、これらの施設の質を保つために基準を設ける。
メインターゲットは、日本の田舎での滞在に魅力を感じたり、長期旅行することが多い欧米の旅行客。今年度は農林水産省の農山漁村振興交付金1050万円を使い、行政や、民泊事業のベンチャー企業「㈱百戦練磨」とも連携し、各種セミナーなどを実施する。
そしてこの事業の大きな特徴が「美杉町全体が宿泊施設」というイメージのもと、協議会がフロントデスクとして機能すること。加盟する農泊・民泊などへの宿泊予約を受け付け、宿泊客を対象に、送迎・体験メニュー・美杉の鹿肉料理のケータリングなどの食事の手配を行う。
美杉の自然や住民の人柄に惹かれて移住し地域おこしに尽力している会員や、高齢だが元気で体験メニューに携わる人など人材も揃っている。
中川会長が、自社のライバルにもなり得る農泊・民泊を推進する事業に取り組む背景には、衰退する地域をなんとかしたいという思いがあるが、本質的な理由は「ただ、面白いから。日本の限界集落におけるロールモデルになるかもしれないから、面白い」。
誘客に成功すれば、空き家などの過疎問題を逆手に取った地域再生の形を示せる。雇用創出や移住希望者の増加に繋がる可能性もあり、今後の進展が期待される。

 津なぎさまちは、中部国際空港セントレアへの海上アクセスとして開港された、言わば空の玄関口である。確か平成17年2月頃と記憶している。「なぎさ港」は、その1年後に私の散歩コースの中で書いた詩である。
たまたま、歌の月刊誌に投稿したところ、審査員の中で、あるメジャーの先生から詩の構成が良いと褒められ、「マイソングとして大事にしなさい」とアドバイスをうけたのである。それを私が調子に乗って曲をお願いしていた。
するとある日、作曲家の先生から歌わせたい人がいて、その娘がレコーディングをするので東京へ行って欲しいとの電話があった。
まさかの話に戸惑いはあったが、「お願いします」と言って了承した。
何故そうなったのか、事情を聞いてみると、今もテレビなどで活躍しているロス・インディオスの『棚橋静雄と夢のアルバム』と言う企画に、私が書いた詩が使われると言うのである。
歌は藤原和歌子さんで、もう1曲の「東京ベサメ・ムーチョ」の歌は、棚橋静雄さんと藤原和歌子さんのデュエット。この2曲と、旅立ち列車の1曲をレコーディングして発売されると言う。
セントラルレコードが企画したカラオケカップの大会において、彼女が審査員長特別賞を受賞し、副賞にオリジナル曲として「なぎさ港」を贈ったと言うのである。
前日は、新宿の京王プラザホテル2号館で発表会が開かれ、翌日はJR山手線の駅前にある中野プラザホテル地下のスタジオでレコーディングを行うと言う。
忘れもしません、3月11日の東日本大震災が起きた翌翌日の13日の発表会であった。
 発表会の時間に間に合わるため、前日の12日の早朝から東京に向かい、いつも利用していたサンメンバーズ東京新宿に宿泊した。このホテルは高低差のある場所に建っていて、正面玄関の左の石段を何段か降りると、前の道路は青梅街道の入り口付近で街道は緩やかな上り勾配になっている。街道の側道に面していて、人通りが少なく静か場所である。
また、裏通りに通じる裏玄関を出ると、細い路地が左右に伸びていて、前方を見上げると高層ビルが競い合って建っている。その路地を左へ100mほど歩くと、新宿ワシントンホテル本館の正面玄関に通じる広い道路に出る。
ホテルの正面玄関の前の道路はT字路になっていて、左前方の目と鼻の先に丹下健三氏が設計したという高さ240mを超える都庁が威風堂々と聳えている。
その都民広場を挟んで、向かい側に京王プラザホテル本館や2号館も他のビルとともに林立している。東京の副都心である新宿は、他の地域より地盤が固く小高い丘になっているのであろうか、道路や建築物の敷地に高低差があり、街そのものが立体的で重厚な都市空間を演出している。
開催時間に合わせてホテルの玄関に入ると、既に主催者側のディレクターや、作曲家の先生、歌い手の彼女も私を迎えてくれた。会釈を交わして案内され会場に入ると、舞台は華々しくセッティングされており、余震が続いていたにも関わらず、満員の会場は熱気に溢れていた。
そして、レコード会社の代表者の挨拶が終わり、祝辞や余興を交えて、選ばれた歌の発表会が延々と続き、時間の経つのも忘れる程であったが、発表会も終わり、別れの挨拶を交わしてホテルを出る頃には、既に高層ビル群の新宿は静かに夜の帳が降りていた。
 翌日の14日も相変わらず余震が続く中であったが無事レコーディングを終えた。その夜は宿泊先の新宿のホテルに戻り、翌朝、作曲家の先生と歌い手の彼女と朝食をとりながら、その日のスケジュールの調整を行ったが、航空券の予約の関係上、もう一泊すると言う。
しかし、余震が余りにも頻繁に起こるので、なんとなく不安を抱いていたのであろう。一時も早く東京を離れた方が良いと言うことになり、急遽東京を脱出することになったのである
新宿駅のJR山手線のホームへ向かって歩いていると長蛇の列と人で溢れていた。その人ごみを縫って最前列に二人を誘導した。
そして、ホームに到着したばかりの車両に一瞬の隙を見て滑り込んだのである。ドアが閉まる直前にざわめきを感じたのであるが、列車は何事も無かったかのように、ホームを離れたのである。東京駅では博多行きの「のぞみ」にも間に合った。
そして、津波による地獄のような被害の状況が、動画などに配信されるのを見て唖然とした。その後も津波と原発事故による被害の様子をニュースは途切れることなく放送し続けていた。
 さて、話が少し横道に逸れたが、棚橋静雄さんについては、東京での発表会や、藤原和歌子さんの故郷である長崎県の佐世保での新曲発表など、何度かお会いしたが、彼は1978年に発表された「コモエスタ赤坂」「知りすぎたのね」が大ヒット。翌79年には、シルヴィアさんとのデュエット曲「別れても好きな人」が大ブレイク。その後も新曲「涙を残して」、「愛の旅立ち」を発表して、ロス・インディオスの棚橋静雄の名前を欲しいままにした。今も美声は衰えていない。
(一社・日本作詩家協会々員)

中京大学校友会三重県支部(西田憲治支部長)は、11月23日㈮、津市新町のプラザ洞津で年次総会と記念講演会、親睦会を開くにあたり、広く参加卒業生を募集している(受付9時半~・総会10時~・講演会11時~・懇親会12時10分~15時)。
講師は、平岡健康開発研究所・スポーツクラブMAX代表の平岡令孝さん。演題は「校友会のみなさんの健康長寿を目指して」。
平岡さんは1951年生まれ。昭和48年同大学卒。中学・高校・看護大学勤務8年。プロ・アマスポーツ歴42年。中でも陸上競技歴は50年(現役)。走り高跳び元三重県記録保持者・日米室内国際陸上競技大会走り高跳び3位。平成24年アジアマスターズ走り高跳び2位などの記録を持つ。
当日はスポーツと健康について分かりやすく解説する。
懇親会会費は7000円(当日会場で支払い)。三重県支部入会費は3000円(永久会費・当日受付けも可)。
同窓会への入会希望者はFAX0598・29・6944へ氏名・住所・電話番号(携帯も)を明記して送信すると、後日連絡が送られてくる。
締切りは9月30日必着。
問い合わせは馬場さん☎090・8551・3979へ。

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