伊勢参りを語る浅生さん

伊勢参りを語る浅生さん

伊勢別街道沿いのまち、津市高野尾町にあり、農産物直売所を備えた施設「高野尾花街道 朝津味(あさつみ)」で、1日、「高野尾できく ふるさと歴史講座」の第1回が開催された。
講師は三重県郷土会常任理事の浅生悦生さん。浅生さんは昭和20年(1945)、津市安濃町生まれ。42年(1967)に三重大学卒業。現在、三重県文化財保護指導委員、三重県史史料調査委員などを務めている。
今回は「伊勢参宮街道物語」と題し、江戸時代の伊勢参りについて語った。浅生さんによると、当時の伊勢参りの旅人の想いは大きく分けて2つ。一つは、現代と同様、伊勢神宮は心のふるさとという想い。もう一つ、「伊勢参り 大神宮へも ちょっとより」という川柳のように、参詣ではなく、道中で遊ぶのが中心というもの。伊勢参りの目的には、天下泰平・五穀豊穣を祈る、寺社に参詣して感謝するという大義名分と、物見遊山や精進落としという本音があった。
また伊勢参りは庶民に大人気の旅行だったが、浅生さんは「50代の家長・婦人が参詣するケースが多く、伊勢参りによる長期不在が、息子に家長権をバトンタッチするためのお試し期間や、嫁が一人で家を切りまわすことができるか確認する機会にもなっていた」など別の側面を紹介。
「テレビや映画では良いところばかり映されますが、実際は、汚い、ノミやシラミが付いた旅人がようけ歩いていたんです。怪我・病気・死亡、盗難・盗賊などの心配もありました。楽しくて美しい場面の裏には、色々な人間模様がありました。また、伊勢は日本の東西の文化が交流する場所。例えば百姓などが参詣するとき道端で田んぼの稲や野菜を見て、出来が良いと種をもらい、広めていきました。
そして、『聖と俗』がいり混じったのが当時の伊勢の姿だった。街道には遊郭があり、奉公という名の人身売買で売られて親と別れた女性が働いていました。
このようなことを考えると、伊勢参りの見方がだいぶ変わってくるのではないかと思います」。