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今の若い人たちに「文通」と言っても、きっと言葉の意味を知らないだろう。遠く離れた人と手紙を使ってコミュニケーションをすることだと説明したら、「どうしてそんなまどろっこしい手段を選ぶのか」と聞かれるだろう。コミュニケーションならSNSとか電話とかメールとか、他に簡単で手早い方法がいくらでもある。
でも、昔は文通というコミュニケーション手段があり、結構普通に行われていた。雑誌や新聞には文通コーナーやペンパル募集欄があり、そこで文通相手を見つけることができた。住所氏名が公開されていたわけだが、個人情報には無頓着な時代だった。
私は小学校四年生から高校卒業ぐらいまで北海道の女の子と文通していた。学習雑誌に絵画展入賞者として掲載された私の学校名と氏名を見て、学校宛に手紙をくれたのが文通の始まりだった。
一度だけ、文通相手に会ったことがある。修学旅行で奈良を訪れた彼女に会いに、奈良公園まで出かけた。彼女は想像以上にかわいい子だった。
郵便受けに自分宛ての手紙が入っていた時のうれしさを今でも覚えている。誰かに向けて何かを伝えることもうれしかった。文章を書くことが苦にならないのも、文通のおかげかもしれない。
住所は今でも覚えている。手紙を出したら、彼女のもとに届くだろうか。元気にしているだろうか。 (舞)
2018年9月6日 AM 4:55
8月31日、津市美杉町で、県内の高等教育機関の学生を対象とした、三重県の山・海・次世代産業を学ぶ「三重を知る旅『三重ラーニングジャーニー』」が初開催された。
三重大学が、人口減少や若者の県外流出といった問題の解決を目指し、地域社会の中心となり取り組んでいる「地(知)の拠点大学による地方創生推進事業」の一環。同大は平成27年、文科省から同事業に採択された。 三重を知る旅は全3回。今回は三重大学の学生12名と、皇學館大学(伊勢市)の学生5名が参加。
映画「ウッジョブ!」のロケ地となった林業の町、美杉町で美杉木材市場や製材所を見学したほか、山で林業を体験した。
皇學館大学1年で、課外活動として木のおもちゃ作りなどを通じた大紀町の活性化に取り組んでいる阪倉日那子さん(18)は「ウッジョブを鑑賞して林業の経営の厳しさを知りました。映画では木材が高く売られていたけど、今日、1リューベ(=1立方メートル)で1万から3万円と聞いて、実際は厳しいと思いました」と話した。
また昼食は、三重県が運用する「みえジビエ登録制度」に登録された店「山里」で鹿肉料理を味わった。
2018年9月6日 AM 4:55
伊勢別街道沿いのまち、津市高野尾町にあり、農産物直売所を備えた施設「高野尾花街道 朝津味(あさつみ)」で、1日、「高野尾できく ふるさと歴史講座」の第1回が開催された。
講師は三重県郷土会常任理事の浅生悦生さん。浅生さんは昭和20年(1945)、津市安濃町生まれ。42年(1967)に三重大学卒業。現在、三重県文化財保護指導委員、三重県史史料調査委員などを務めている。
今回は「伊勢参宮街道物語」と題し、江戸時代の伊勢参りについて語った。浅生さんによると、当時の伊勢参りの旅人の想いは大きく分けて2つ。一つは、現代と同様、伊勢神宮は心のふるさとという想い。もう一つ、「伊勢参り 大神宮へも ちょっとより」という川柳のように、参詣ではなく、道中で遊ぶのが中心というもの。伊勢参りの目的には、天下泰平・五穀豊穣を祈る、寺社に参詣して感謝するという大義名分と、物見遊山や精進落としという本音があった。
また伊勢参りは庶民に大人気の旅行だったが、浅生さんは「50代の家長・婦人が参詣するケースが多く、伊勢参りによる長期不在が、息子に家長権をバトンタッチするためのお試し期間や、嫁が一人で家を切りまわすことができるか確認する機会にもなっていた」など別の側面を紹介。
「テレビや映画では良いところばかり映されますが、実際は、汚い、ノミやシラミが付いた旅人がようけ歩いていたんです。怪我・病気・死亡、盗難・盗賊などの心配もありました。楽しくて美しい場面の裏には、色々な人間模様がありました。また、伊勢は日本の東西の文化が交流する場所。例えば百姓などが参詣するとき道端で田んぼの稲や野菜を見て、出来が良いと種をもらい、広めていきました。
そして、『聖と俗』がいり混じったのが当時の伊勢の姿だった。街道には遊郭があり、奉公という名の人身売買で売られて親と別れた女性が働いていました。
このようなことを考えると、伊勢参りの見方がだいぶ変わってくるのではないかと思います」。
2018年9月6日 AM 4:55