95回目となった今回の奈良行きは、体調不良と台風の影響で、季節も終わりの訪問となった。同行者は本居宣長記念館館長と三重ふるさと新聞の森社長である。
陽が中天に差しかかった奈良公園は、まだまだ盛夏の日差しであり、日本人観光客や欧米系インバウンド、そして鹿たちの姿もまばら。だが、アジア系インバウンドの姿は少なくなく、子どもたちも元気だ。日本よりも低緯度に在る国々からの訪問者は、どうやら平気のようである。
三条通りでは、方々の店の軒先にミストシャワーの装置を見た。茶巾うどんの店も相変わらずの行列で、よもぎ餅の実演販売も人だかりである。
国連世界観光機関の駐日事務所では、副代表から今月訪問されたインドの話を聞いた。今回の訪問はインド政府の経費負担による招待で、仏教ツーリズムの紹介だそうだ。香辛料の香り漂う彼の国での食事は、予想に違わず、週に4日は本場のカレー料理だったそうである。
調べてみると、13億もの人口を抱えるインドは、2024年には中国の人口をも超えるとされるが、まだまだ電気が足りないそうだ。故に原発誘致にも積極的で、昨年には日印原子力協定も発効している。正に、日本の産業界にとってインドはフロンティアである。したがって、産業界の交流活性化は、必然性をもって観光客の増加をも促す事は明らかであり、この点において、日本人が最も受け入れやすいコンテンツが『仏教文化』となるのも当然だと言えよう。日本人でブッダ・シッダールタ(お釈迦さん)を知らない者はいないからだ。
とはいえ、その逆、つまり今や国民の八割近くがヒンドゥー教徒であるインドの人々が、日本に根付いた『仏教文化』をどれほど理解できるか否かは、いわゆる知識層を除くと多くは望めない(2011年の国勢調査によると、ヒンドゥー教徒が79・8%、イスラム教徒が14・2%、キリスト教徒2・3%、シク教徒1・7%、 仏教徒0・7%、ジャイナ教徒0・4%である)。
また、中国外文局が管理・運営するニュースサイトの中国網は、昨年、『豪日印越の同盟という幻想、中国を脅かすに足りず』とのプロパガンダを世界に配信している。もし両国間の交流促進の真意がここにもあるとすれば、それは日本の観光産業従事者も、清濁併せ呑む必要があるといえるだろう。良いか悪いかは別にして、国際観光にはそのような一面も常に内包されているが、未だ島国ニッポン人が、それを熟知しているとは言い難く、とりわけ地方行政は、インドネシアやベトナムでヤケドを負う程うぶだからである。
副代表は、発行されて間もない『ツーリズムハイライト2018』のPDFデータから、そのコピーを綴じた冊子を用意してくれた。まだ紙製ののA4リーフレットはマドリードからは到着していないが、8年来の私の分析には、これで充分こと足りる。感謝である。
副代表によると、日本の観光収入がついにベスト10入りを果たしたのが最大のトピックだそうだ。これは、ランキングの方法論の変更により、5位だった中国が、12位まで下落した為でもある。
とはいえ、ベスト3は相変わらずの不動で、ベスト1の米国と比べると、日本はその6分の1程度でしかない。因みに、米国の2017年の国際観光収入は2万1074・7億米ドルでダントツ1位、スペインは679・64億米ドルで2位、仏国は606・81億米ドルで3位である。タイ574・77億米ドル、英国512・11億米ドル、日本は340・54億米ドル、中国は326・17億米ドルで、北朝鮮は5・25億米ドルである。
国連世界観光機関を後にして、私達は猿沢インへと向かった。ここには〝メイドイン・私〟のアポロ宇宙船と月着陸船のペーパークラフトと、松阪市と熊野古道の英語版リーフレットを置いてもらっている。
減少率を鑑みると、松阪市のは月に10部程度、熊野古道はその2・5倍の需要が外国人にあるようだ。
別れ際に宣長記念館館長は、マネージャーに冊子を贈呈した。どうやら本居宣長の描いた大日本天下四海画図の地名に惹かれたようである。
最後に、近代化産業遺産で旧JR奈良駅駅舎を改装した『奈良市総合観光案内所』に立寄った。既にここには秋の催事の案内でいっぱいである。だが、これらの情報は何一つ、隣県三重には周知されてはいないのだ。
 (O・H・M・S・S「大宇陀・東紀州・松阪圏サイトシーイング・サポート」代表)