講演する雲元氏

講演する雲元氏

霊障解消の事例を紹介した「見えない力」の著者、雲元氏(津市大里睦合町、人材教育会社㈲エム・アール・シー社長。本名・足坂三長さん)が21日、アストで講演会を開いた。霊障などに関心のある50名が聴講した。
はじめに、大学病院で潰瘍性大腸炎と診断され「病院では治りません」と宣告を受け、症状が進めば大腸を徐々に切除しますと言われた男性が、雲元氏の指示通り、屋敷の霊的な対処をはじめ、神仏の正しい祀り方などを実践した事で元気を取り戻し、現在は若手社長として経営に励むようになった事例や、社会問題にもなっている「引きこもり」から抜け出して警察官の試験に合格した事例、さらには事業不振だった企業を一転して黒字経営に転化させたケースなど、様々な不幸現象(不登校、うつ、悪性りんぱ腫がん4期など)の解消事例を3時間にわたり詳述した。
また、この日は「クローン病」と診断された当時、大学生だった息子が、雲元氏の霊障解消で健康体にを取り戻し、現在は結婚して子供を授かった事例を母親が登壇して自身の体験談として語った。
雲元氏は、「原因が分からない体の不調や、不登校、引きこもり、家庭内暴力、事業不振など、これら肉体的、精神的な病気の対処はまずは薬物療法や精神治療、生活指導、あるいはコンサルタントの指導を受けなくてはならない。しかし、一方でそれらの対処ではどうにもならない場合もあるのも事実。このような悩みには科学では解決できないスピリチュアルな、〝見えない力〟が作用していると考える」と説明。
原因として神々に対する祀り方(神棚)や先祖の祀り方(仏壇)の間違い、因縁霊に対する間違い、井戸の対処、屋敷の東隅の不浄などを挙げた。
「様々な不幸現象の原因は過去世における因縁霊の関わりもあります。『優しい子だったのに、人が変わったように怒るようになった』、また、『今のは自分ではない』と言うなど何かに取り憑かれているような気がするとの相談もあります。このような人が非常に多い」と話した。
また、「不幸現象からの脱却には神様やご先祖様に感謝し、苦しむ霊を救うことが必要である」と述べ、霊障を解消するには水、ご飯、酒、塩、線香の5つの供え物で対処できること、さらに目に見えるもの、見えない者すべてに感謝することと説いた。
最後に、「心霊の世界と医学の世界が一体となりえるならば、人類にはかり知れない幸福をもたらす」と締めた。

 

横光利一「川端康成宛書簡1926年3月26日消印」(公財)川端康成記念会蔵

横光利一「川端康成宛書簡1926年3月26日消印」(公財)川端康成記念会蔵

池大雅《十便図》(釣便)1771年 (公財)川端康成記念会蔵

池大雅《十便図》(釣便)1771年
(公財)川端康成記念会蔵

将棋をする横光利一(右)と川端康成 山王下の文芸家協会にて 1937年

将棋をする横光利一(右)と川端康成
山王下の文芸家協会にて 1937年

津市大谷町の三重県立美術館で横光利一生誕120年・川端康成コレクション「川端康成と横光利一展」が昨日24日から開かれている。
大正から昭和前半にかけて活躍し、「文学の神様」と仰がれた三重ゆかりの文豪、横光利一(よこみつ・りいち、1898~1947)と、その生涯を通じて最大の親友であった近代日本を代表する作家、川端康成(1899~1972)。
横光の生誕120年を記念し、ともに新しい文学表現をめざした若き時代から日本的な精神や美へと向かう成熟の時代まで、2人の業績や交流、その美意識を貴重な書簡や書籍、写真、関連する美術作品によって紹介。
また、川端康成記念会の全面的な協力を得て、池大雅、与謝蕪村、浦上玉堂、東山魁夷、古賀春江ほか、川端旧蔵の国宝を含む美術作品を一堂に公開している。
※作品保全のため、浦上玉堂《凍雲篩雪図》(国宝)は10月27日㈯~28日㈰および12月4日㈫~16日㈰(12月10日㈪除く)のみ展示。一般1000円、学生800円、高校生以下無料。
関連イベントとして11月3日(土・祝)10時半~と14時~(開場は開始時間の30分前)、三重県立美術館講堂で映画上映会も実施する。
作品は、川端康成の初期の代表作となる短編小説で、伊豆を旅した19歳の時の実体験を元にして書かれた「伊豆の踊子」(1963年、監督・西河克己、制作・日活、上映時間87分)。出演は吉永小百合、高橋英樹ほか。事前申込不要。入場無料。定員150名(先着順)。
問い合わせは同美術館☎059・227・2100。

プレゼント

本紙読者5組10名に同展覧会の招待券をプレゼント。ご希望の方は葉書に、〒・住所・氏名・年齢・電話番号を明記して、〒514の0028、津市東丸之内26の12、三重ふるさと新聞「川端」係までご応募下さい。締め切りは11月1日㈭必着。当選は券の発送をもって代えさせて頂きます。

国道163号と並走する道路を歩く(精華町柘榴付近)

国道163号と並走する道路を歩く(精華町柘榴付近)

京都府と奈良県の県境

京都府と奈良県の県境

精華町を国道に沿って進むと、とうとう歩道が消えた。もう慣れたとはいえ、車道の端のわずかな路側帯を頼りに進むことは避けたい。少し背伸びをして、先を見渡すとどうやら地元の集落の生活道路が国道と並走しているようだ。
国道の北側を走る道は集落に入る部分が斜面になっている。そこにある道路標識に立てかけられた一枚の看板を見ると、「柘榴」というこの集落の名前が書かれている。
名前を目にした瞬間にぱっくりと割れた実から無数の赤い粒が顔をのぞかせるザクロの姿が脳裏に浮かんだ。子供の頃、近所に生えていたザクロの木になった果実が収穫されないまま、放置されていたので恐る恐る実をもいで、粒を口に入れたところ、とても美味しかったのを覚えている。日本では、庭木などの観賞用にされることが多く国産物は余り流通していないが、イランなど中東諸国など海外ではよく食べられているようだ。
ザクロの木がたくさん生えていたのか、はたまたザクロと縁がある鬼子母神をまつる寺院があったのかなどなど、想像を膨らませながら、国道を見下ろす形で並走する道路を進む。どこにでもあるような田舎の風景だが、遠く離れた県外でまず立ち寄ることがないので興味深い。まして、国道と並走する生活道路で今後、車で通ることもまずない。こういう何気ない景色ほど、深く記憶に刻まれるから不思議だ。
柘榴の集落を抜けると京都府と奈良県の県境。津市の終点から、思えば遠くへきたものだ。心を躍らせながら県境をまたぐ。ここからは奈良県生駒市。奈良県の北西部に位置し、隣接する大阪府のベッドタウンとして栄えている。人口は約12万人で国道は約50㎢ある市域の中央よりやや北を横断。市内中心部は国道の南側に位置する形。市内北部にある生駒山は霊山としても名高く、周囲の生駒山地には、役小角が鬼神・前鬼と後鬼を調服し、従えたという伝説も残っている。
県境をまたいだとはいえ、国道沿いの景色は、これまでと大差無く、のどかな景色が広がっている。時刻は13時前で、ここまでの行程は順調そのもの。新しいランニングシューズも軽く身体全体の疲労感はそれほどでもない。だが、左かかと付近の足裏に、痛みを感じている。最近、長距離を歩いたり、固いものの上を素足で歩くとこのような症状が出るようになっている。症状をネット上で照らし合わせると、足裏の筋膜が炎症を起こすことによって起きる足底筋膜炎と似ている。ほんの軽い症状で、日常的な痛みはほとんどないので、気にしていなかったが、後日念のために医師の診察を受けようと思っている。
今日は、どこまでいけるのかわからないし、関西圏の交通事情には明るくないが、道路標識で頻繁に見かける四条畷市が距離的にも丁度良い具合に思える。時間と足と相談しながら国道をぶらり歩いていく。(本紙報道部長・麻生純矢)

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