日本政府とロシア観光局の間では、日露間の交流人口を2015年の約14万人から、2019年には25万人へと増やす共同プログラムが遂行中である。2017年8月に実施されたビザ緩和によって、インターネットでの無料申請が可能となり、一般的な観光ならば沿海州に連続8日間滞在することも可能となった。
自由旅行が解禁されたロシアは、観光国へと変貌し始めたのだろうか?
例えば、極東の人口60万程の港町ウラジオストクは、成田空港から直行便で2時間弱。キャッチフレーズは『日本からいちばん近いヨーロッパ』。日本の旅行社H・I・Sによると、ウラジオストクへの日本人旅行者は、例年7000~1万人程度で推移していたが、2017年に突然1万8000人を超え、2018年も増加中だとの事である。轟太郎もびっくりだ。彼は、日本での秘密任務中に記憶を失った英国海軍の中佐であり、自分探しにウラジオストクへと渡り、刺客として英国に帰国した。中佐の本名はジェイムズ・ボンド。イアン・フレミングの小説での事である。
実のところ、映画版を除くと、フレミングが東西冷戦時代におけるボンドのロシア入りについて書いたのは、これが最初で最後である。東京創元社の『ロシアから愛をこめて』にもソビエトの詳細な描写があるが、ボンドは入国してはいない。だが、フレミングの没後にフレミング財団が選んだ作家セバスチャン・フォークスが書いた竹書房の『デヴィル・メイ・ケア』では、ボンドはソビエト時代のカザンからゴーリキー、モスクワ、レニングラードを逃避行の中で訪れている。
閑話休題。国連世界観光機関によれば、ロシア連邦の国際観光客到着数は、2015年が2685万2000人、2016年が2457万1000人、2017年が2439万人(暫定値)と、実のところ減少傾向にある。
だが、国際観光収入は逆に増加傾向にあり、2015年の84億2000万米ドルに対して、2017年は89億4500万米ドル(暫定値)で、円換算では1兆円を少し上回ることになる。観光交流は相互理解に繋がる上に儲かるのだ。
そして、理解が進めば、昨年6月にウラジオストク税関で発覚した、日本の乗用車から1平方センチ当たり平均40cpmのベータ線が検出されて輸入禁止で積戻しとなったような措置も、ひょっとしたらマケてくれるかも知れない。 (O・H・M・S・S「大宇陀・東紀州・松阪圏サイトシーイング・サポート」代表)