先の大戦で津市の大空襲により消滅した玉置町(玉置町は現在、養正小学校の敷地、玉置公園になっている)。「戦後、復興しなかった町」は日本空襲史上、同町のほかにはない。
この連載では、アメリカ軍による空襲の詳細と克明な被害状況を膨大な資料から調査した津市在住の雲井保夫氏からの寄稿を掲載する。
1945年(昭和20年)7月24日、テニアン島西飛行場の第313爆撃航空団所属のボーイングB29スーパーフォートレス爆撃機41機が津市の津海軍工廠、津市高茶屋〔第1目視照準爆撃標的地〕及び津市街地〔第1レーダー照準爆撃標的地〕を選定し、AN─M64・500ポンド一般目的爆弾を搭載した。
一方、グアム島北飛行場の第314爆撃航空団所属のB29爆撃機81機が三菱重工名古屋機器製作所〔第1目視照準爆撃標的地〕、津市街地〔第1レーダー爆撃標的地〕を選定しAN─M56・4000ポンド軽筒爆弾とAN─M64・500ポンド一般目的爆弾を搭載した。
4000ポンド軽筒爆弾は超大型爆弾だ。これを搭載したのは、それまで無傷のままになっていた三菱重工名古屋機器製作所を爆撃してこの工場壊滅するのが目的だった。軽筒とは英語のlight case〔ライト ケース〕の直訳で、爆弾の外側を覆う鉄の厚さが約5ミリと薄くなっている。250キロ爆弾で厚さは約9ミリだ。爆弾重量を1・8トンにおさえ、できる限り多量の爆薬を装填する金属部分を軽くする工夫を施したのである。
第314爆撃航空団〔この爆撃航空団は4爆撃航空群で構成されたいる〕のうち、2個航空群所属のB29爆撃機が4000ポンド軽筒爆弾〔瞬発弾頭信管及び無延期弾底信管付き〕を搭載したのは、最少の攻撃力をもって最大の損害を爆撃目標に与えるためであった。
この工場の主たる建物はのこぎり型の屋根で非常に密集しており、この種の爆撃に弱点を持っていた。それで75パーセントの高装薬重量のあるこの4000ポンドが選定された。
というのはこの4000ポンド爆弾は他のどの種類の爆弾より少なくとも25パーセント以上の爆薬が詰めてあるからである。「瞬発弾頭信管及び無延期弾底信管」が用いられたのはこの爆弾の特性によるもので、「延期信管」は用いられるべきでないと決定された。
AN─M56・4000ポンド軽筒爆弾は円筒形をしている。長さ約3メートル〔117・25インチ〕、投下時の重量は約2トン〔4535ポンド〕。爆弾筒の長さは2メートル42センチ〔95・6インチ〕、直径は86センチ〔34・25インチ〕。その重量は1951キログラムで、そのうち1592キログラムが爆薬である。爆弾筒には尾部安定翼〔約50センチ〕が付く。1機のB29はこのAN─M56・4000ポンド爆弾を4発搭載できた。
津海軍工廠爆撃用に搭載された爆弾は次の種類である。AN─M64・500ポンド一般目的弾、100分の1秒延期弾頭信管、無延期弾底信管付き。津海軍工廠は土地の広さに対し、たった5パーセントしか工場が密集していないという理由で、この種類の爆弾が選定された。
この大きさの爆弾は多くの命中が可能なので、この工場群の爆撃に向いていた。100分の1秒の延期弾頭信管が選ばれたのは、屋根の下1・8メートルから3メートルで爆発するからである。 これにより爆弾の威力〔爆風や破片〕により建築物の倒壊、建物内部の破壊が可能である。無延期弾底信管は標的を少しはずれて投下された爆弾に地面での爆発をさけるために選定された。
第313爆撃航空団所属の41機のB29爆撃機群の集結地点は三重県尾鷲市の北部、一方、第314航空団所属の81機のB29爆撃機群方は滋賀県の近江八幡上空と計画された。集結地点からそれぞれの爆撃目標地に飛行するのである。
(次回に続く)