2019年7月

 新緑の色も深みを増し、いつの間にか立夏も過ぎ、木々を渡る風にも、初夏の香りが漂う季節になりました。夏に訪れを告げる夏祭りも、各地で始まっております。
今回は、夏祭りの小唄を二曲ご紹介したいと思います。お囃子の違いも面白く唄われており、お楽しみいただければと思います。

神楽ばやし
神楽囃子の打込みは 先づ屋台囃子、聖天鎌倉大間囃子、あとは四丁目で、テンステテンストトントン、オヒャリ、ヒャリトロ、ヒヤリトロ笛の声、先玉じゃあと玉じゃ、共に打込む、チエッチェチェチキ 当り鉦

 この唄は明治43年に青木空声による作詞で、作曲は不詳です。
江戸時代の上方小唄「桜見よとて」から明治に入って江戸小唄にとり入れられたのが替唄「神楽ばやし」です。「草紙庵夜話」によると明治43年頃、青木空声が唄や踊りの遊びにもあきて、何かないかと思案の末、思いついたのが「わかばやし」神楽ばやしの稽古でした。お神楽はずぶの素人だから順序を忘れてはいけないと、空声がこれを唄にして覚えるのが早道と、神楽太鼓の順序を唄いこんだものが小唄になりました。この唄は横笛が主となって、他の楽器を指導するもので、主曲は12曲あり、このお囃子は最も江戸っ子の気性に合い、お祭りばやしとなって旧幕時代は盛んに行われました。道具の種類に大胴と呼ぶ大太鼓、しめ太鼓、笛(トンビとも呼ぶ)鉦(与助と言う)となっており、小唄の「屋台~四丁目」までは神楽ばやしの曲の名を並べたもの、「先玉じゃあと玉じゃ」は、しめ太鼓の本手、替手の打ち方です。当り鉦は摺り鉦というのが正しく、手に持って打つ深皿のような形の鉦で、与助の名称は、他の四人を助けるからという説もあり、又、当り証を打つ名人であったからとも言われています。この小唄は曲が派手で、よく出来ており、オヒャリヒャリトロは笛の音ですが、笛の音まで口真似で唄う所が面白く、この小唄の味噌になっています。
 天神祭
ちょうさやようさで、お神輿かきこみ、よいよいいっさんに担きこませ
なかに太鼓の、ドデドン、ドデドン、よういよいやさ、ドデドンドデドンようい、ドンデン世の中よういやさ、させさせ、させさせ、さいてくだんせ盃を、三遍まわしてヨーイヨーイ これなん拳の酒 ソレちょうちょう
ちょう
 7月25日に行われる大坂天満宮の「天神祭」を唄った上方小唄で三世中村歌右衛門の作詞といわれており、文政4~5年の作です。
天神祭は、昔から京の祇園祭、江戸の山王祭と共に日本三大祭の一つに数えられ、京の祇園祭から一週過ぎた暑さも絶頂の祭で、その起源は天暦7年、村上天皇の勅願によると伝えられ、怨霊神としての菅原道真の御霊の信仰と夏の災厄よけ祈願という民俗から出た祭です。6月1日に鉾流しの神事、24日の宵宮祭には、山車の宮入り、大太鼓と鉦によるだんじり囃子は、男性的な力強さがあり、山車の上で鉢巻、赤ふんどしの若者が、乱舞し、野性味があり、安永9年は最も盛んで、84輌も宮入りしたといわれています。25日は川渡御といって、御鳳輦、鉾、神馬、稚児、武者など10数町の行列が社殿を出て、鉾流橋の畔から乗船し、堂島川を下って御旅所に入り、賑やかに、はやす「どんどこ船」に曳かれて行きます。船には一体づつ「御迎人形」が乗せられ、体長4メートルに及ぶ豪華な衣裳の人形は精巧に出来ていて、元禄の頃から行われているといわれております。
もっとも有名な柳文三作「安倍保名」には町娘が変死した話が伝えられるほどの名作でした。他に木津勘助、加藤清正、雀踊、戎島の恵比寿、雑喉場の大鯛、与勘平朝日奈など、名高いものがあります。小唄の中で唄われている「ちょうさや、ようさ」は上方で御輿をかつぐ掛声で江戸で言う「わっしょい、わっしょい」と同じ意味です。この小唄は江戸端唄から採ったもので、上方調には珍しい早間調子のよい小唄になっております。
江戸と上方での祭り囃子が作られた経緯の違いや、御輿をかつぐ掛声、おはやし、太鼓、笛、鉦などを比べてみるのも面白いですね。

梅雨寒の日もあれば、真夏のような日差しのつよい日もあって体が不調になりがちです。どうかお体を大切に。
小唄 土筆派 家元
木村菊太郎著「江戸小唄」参考

 三味線や小唄に興味のある方、お聴きになりたい方はお気軽にご連絡下さい。又、中日文化センターで講師も務めております。稽古場は「料亭ヤマニ」になっております。☎059・228・3590。
津LC第60代会長に就任した杉田真一さん

津LC第60代会長に就任した杉田真一さん

「60周年!感謝を込めて」~新たな時代にWE SERVE~のスローガンを掲げて7月13日、津ライオンズクラブ第60代会長に就任した。
ライオンズクラブ(以下、LC)は、世界21カ国、146万人の会員を誇る世界最大の奉仕団体。津LCは会員100名。毎年、環境清掃活動、薬物乱用防止教室をはじめ、盲導犬育成資金のためのチャリティイベントや、子供参加のスポーツイベントなど毎年様々な奉仕活動に取り組んでいる。
創立50周年には、中勢グリーンパークに128本の桜の植樹をして以来、時計台の設置、遊具の寄贈、清掃活動など10年間にわたり取り組んできた。
本年度は、60周年を機に、より多くの市民に親しまれ、楽しめる公園を目指して記念事業を開く。
今年11月10日には、中勢グリーンパークで、5000人規模での子供達に楽しでもらえる企画(飲食・マルシェ・様々な体験イベント・熱気球乗船体験など)を計画し、そこで得たチャリティ基金と共に、来年3月29日に同パークに遊具などを寄贈する予定。また、4月19日には、60周年記念式典も開催する。
60周年会長の杉田氏は「私がLCに入会したきっかけは父親でした。
子供ながら父親が仕事と共に奉仕活動に一生懸命に取り組んでいる姿を見ていました。LC主催の引田天功ショーや家族会に行った事を思い出します。
父は60歳で第30代会長、私は数えで60歳で第60代会長、何かご縁を感じます」と感慨深く話す。
「今年は新たな元号、令和のスタート。新たな時代に相応しいクラブ運営を心掛け、より地域社会に貢献できる奉仕活動に取り組みたい」と抱負を語る。

「敵飛行機発見!」 雲井保夫

昭和20年〔1945年〕5月14日、アメリカ陸軍航空隊隷下、第21爆撃兵団第58爆撃航空団〔テニアン島西飛行場〕、第73爆撃航空団〔サイパン島イスリー飛行場〕、第313爆撃航空団〔テニアン島北飛行場〕、第314爆撃航空団〔グァム島北飛行場〕からボーイングB29スーパーフォートレス爆撃機が爆撃目標地を愛知県名古屋市北部市街地と定め、そこにM69型焼夷弾を投下せよという任務を負って出撃した。
その総数524機である。コード名:マイクロスコープ、第1目標上空時間:午前8時5分~9時25分。作戦任務第174号。攻撃開始地点は滋賀県近江八幡市の大中瑚。
出撃した524機のB29爆撃機の中に次の1機がこの作戦に加わっていた。B29の機体番号〔#44─69966〕、第58爆撃航空団、第462爆撃航空群、第770爆撃飛行隊に所属。
機長でパイロット、ディーン・ハロルド・シャーマン中尉 認識番号0─737484。副操縦士 セオドル・C・レイノルズ少尉 同0─828530。航法士 ロバート・C・オア少尉 同0─2058535。爆撃手 ノーマン ソロモン少尉 同0─708948。航空機関士 ロイド・G・ミラー2等軍曹。無線士 ジェリィー・W・ジョンソン伍長 同14135602。レーダー士 ベンジャミン・W・プリチャード伍長 同33540578。中央機関銃制御手 エヴァン・I・ハウエル伍長 同35813612。左側機関銃手 カール・H・マンソン伍長 同39557781。右側機関銃手 ポウル・R・ラバディー伍長 同36888812。機体尾部機関銃手、エドワード・R・ジェントリー伍長 同14071549。以上11名が搭乗していた。
B29群は潮ノ岬及び紀伊水道方面から日本本土に侵入し、奈良県、琵琶湖を経て西方から名古屋市の爆撃目標地に対し、焼夷弾を投下するという飛行経路を取った。攻撃開始地点は滋賀県近江八幡市の大中瑚。この地点から右旋回して東に針路をとれば、名古屋市北部に到達する。名古屋市北部に焼夷弾を投弾後、静岡県の浜名湖方面から太平洋に向けて離脱することになっていた。
神奈川県の海軍厚木基地の「第302海軍航空隊」の副長・菅原中佐の指揮で月光隊と彗星隊の大半計20機が昭和20年5月12日から10日間、陸軍の伊丹飛行場へ伊丹派遣隊として振り向けられていた。彗星夜戦分隊の第3飛行隊に、中芳光兵曹〔丙種飛行予科練習生第4期〕操縦と、金沢久雄少尉〔飛行予備学生第13期〕偵察、がいた。乗機は「彗星12戊型」〔D4Y2─S〕228号。
伊丹飛行場には空襲警報のサイレンが鳴り、全邀撃戦闘機は緊急発進した。金沢・中機も発進した。「敵機は奈良上空」という無線連絡を受け、奈良県上空に向かった。 シャーマン機は潮ノ岬付近から奈良県上空を飛行して、爆撃開始地点を目指していた。
金沢久雄少尉の手記から当日関係分を抜粋する。
「5月14日の早朝、けたたましい空襲警報のサイレンが飛行場に鳴り響き、目が覚めた。さては…とびおきて、飛行場まで突っ走る。20ミリ機銃弾は、まだ夜間用のものがつめこまれているはずだ。当地にきて、はじめての邀撃戦である。ここには他部隊の戦闘機部隊も同居している。まごついてはいけない。「中兵曹、ぬかるまいぞ」互いにカツをいれながら、愛機「ヨD─228号」へ向かう。
機付け整備員もともに派遣されているので、いつもの顔ぶれが愛機を丹念に点検してくれている。「228号、どんぴしゃです」。頼もしい整備員の力強い声。チョークがはずされ滑走路へ。一番機に続いて我が機も離陸を開始する。我が一小隊は馬場分隊長を一番機とする三機編隊。われわれは二番機である。哨区は神戸上空6千500メートルである。
飛び立ってみると、意外に雲量が多い。徐徐に高度をとる。さらに高度をあげて雲上に出る。大阪湾の海外線が、雲のあいまに見えかくれする。と、一番機がバンク〔翼をふって合図すること〕しながら、編隊から脱落した。エンジンの調子でも悪いのか。無事を祈る。
機内温度が急激に下がってきた。高度5千メートルを過ぎた頃、編隊を組んでいた三番機も、バンクしながら脱落していった。ついに単機となってしまう。やがて雲間から淡路島が朝モヤにかすんで大きく浮かび上がってきた。右に旋回する。「零戦」が三機編隊で行く手を横切っていった。零戦がんばれ!思わず心の中で叫ぶ。
真綿を敷きつめたような白一面の雲海を飛ぶ。ちょうど神戸上空を思われる高度6千500メートルを飛行中の時だ。基地から総飛行隊あて、「テヒナラ」〔敵飛行機、奈良上空〕を打電しているにを傍受した。
「中兵曹、敵は奈良上空だ」
「奈良に向かいまーす」
いったん大阪湾に出て、堺上空のあたりから陸地へ向かった。大きな雲の塊があちこちに浮いている。高度7千メートル。上空、あるいは同高度にばかりに気を取られて見張っていると、
「いたいた。下を見てください。ワンサといます」と前の操縦席の中上飛曹から声がある。なるほど、いるわいるわ。見慣れたB29の大編隊が、9機ずつの凸梯陣を組んで、ぞくぞくと北上していく。すごい大梯団である。基地へさっそく「敵飛行機発見」を打電する。
(次回に続く)

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