2020年1月

令和2年特別記念講演が1月25日㈯13時から、津駅西の三重県護国神社参集殿で開かれる。主催=日本会議三重・津支部。 講師は、作家で元中国残留孤児の赤崎大さん。演題は「昭和20年夏 市民を守る武力がないことで起きた 満州の悲劇」。 赤崎さんは1940(昭和15)年、満州生まれ。裕福な家庭環境で終戦を迎えた。その直前に父親は召集されて、行方知らず。ソ連の参戦で母、兄弟姉妹の5人で逃避するも見つかり、難民収容所に入る。
残留孤児となり、日本人であるとの証明もない中、1953(昭和28)年に奇蹟的に帰国。そこで、父も朝鮮で病死していたことを知る。
当日は、戦争とは何か、守り愛すべき国とは何か、平和とは…今日の日本に伝えたいメッセージを語る。
当日のスケジュールは13時・受付開始~13時半・同神社参拝~14時・講演~15時終了予定。
参加無料だが先着申し込み100名。申し込みはメール・FAX・フェイスブック・電話で。
問い合わせ・申し込みは事務局の畔原さん☎090・5110・1684。FAX059・225・0386。メールmie.zshibu@gmail.com

本紙は、今年度の三重大学教育学研究科・増田直史さんの教育実習に協力し、同大学附属小学校5年A組児童に新聞づくりの特別授業を行いました。後日、児童達は授業での学習を活かし、8班に分かれて津市大門で取材し、記事原稿を書き上げました。2班づつ、計4回に分けて紙面で紹介します。3回目の今回は、5班の「津観音」と4班の「平治煎餅本店」です(写真も児童が撮影)。

 

三重のほこり・津観音

津観音本堂

津観音本堂

「この寺は、日本三観音の一つなんですよ」と語るのは、受け付けを担当している伊藤さんだ。日本三観音にも指定されている津観音は、和銅2年(七百九年)からの長い歴史をほこる寺であり、昔から市民の心のよりどころとして親しまれている。
千九百四十五年の戦争により再建された五重塔は、三重の中でも一つしかないものなのだ。高さ21メートル、中には大日如来像や薬師如来像も安置している。
また、津観音の魅力の一つとして伊藤さんが教えてくれた事、それは色だ。本堂はもちろん、先ほどの五重塔にも多く朱色が使われている。このりっぱな朱色は目に焼

津観音境内にある五重塔

津観音境内にある五重塔

きつけておいてほしい。
またその他、二月に行う鬼押さえや七月のつ七夕まつり、十月の津まつりなど、津観音で行われる行事は多くある。これも、一つのほこりといえるであろう。
たくさんのほこりを持つ、津観音。み力の多い津観音に、ぜひ参拝者として、おとずれてみてほしい。(三重大附属小学校5年A組5班)

 

 

 

 

 

すがたをかえる平治煎餅

大門商店街通りの平治煎餅本店は千九百十三年創業。始まった当時は平治煎餅と平治最中の二種類しかなかったが、今では「平治のワッフル」、「お城で見つけた月」などの商品がたくさんある。
平治煎餅の笠のような形の由来は、平治が風邪をこじらした母のために、禁漁区からヤガラという魚を取りに行ったときに浜辺におき忘れた笠が元となっている。その笠を元に、子どもにも楽しんでもらえるように「平治くんアイス」を作った。そのおかげで子どもにも来てもらえるようになった。
そんな人気な平治煎餅は工場で年間一万五千枚、多い時で二万枚作っている。工場と本店をあわせて二十五人働いている。
お店の方は「安心、安全、そしてお客様の笑顔が見られることを日々心がけていきたい」と意気込んでいる。
(三重大附属小学校5年A組4班)

 

編集部注・ 12月12日号の同連載で「平治煎餅本店」の創業年が「1993年」とありましたが「1913年」が正解につき訂正します。

昨春三期目の当選を果たした前葉泰幸津市長インタビュー前編。昨年の振り返り、令和という新しい時代にふさわしいこれからの津市政における重要課題や、津市の新たな芸術文化の発信拠点となることが期待される中、今年6月にオープンする「久居アルスプラザ」などについて聞いた。        (聞き手=本紙報道部長・麻生純矢)

 

前葉泰幸津市長

前葉泰幸津市長

─あけましておめでとうございます。まずは3期目の当選も果たされた昨年の振り返りと新年の抱負をお願いします。
市長 昨年春は一志こども園、津市久居消防署津南分署が完成。その後に津南防災コミュニティセンターもオープンしています。二期目にお約束をしたことが実現しています。3期目は「一歩先を行く市政」で、更に市民の皆様の暮らしの充実のために、やっていきたいこと、やっていかなければならないことを掲げています。
都市部では、大きく言うと力強い経済と待機児童を出さないといった子育て、つまり暮らしやすく力強い経済ですね。中山間地域では、福祉と農地、地域の元気みたいなものがポイントと思っています。令和7年の地域包括ケアシステム開始に向けて、これから考えなければいけない地域の高齢者が生き生きと暮らせる福祉、農業では、令和版営農会議をスタートしましたが、耕作放棄地をつくらないよう上手く担い手と地権者のマッチングを行っていきます。
市町村合併15年目になるので、合併前に大切にしてきたことを上手く引き継げたと思いますが、そろそろ旧市町ごとに津市の地域としてのアイデンティティを持たなければならない。
合併前は役場を中心に産業も福祉も環境も全て決めていた。合併後は津市の中の大きな流れの中で、各地域がどうしていくのかという形だった。合併後の一体感の醸成という言葉の中で本庁のある西丸之内発各地域行き的な政策が多かった。そこを各地域発の施策という形にできればと思う。例えば美里町では島根県美郷町とで獣害対策で相互に連携する環境をつくっています。福祉についてもそうですね。サロンの取り組みが進んでいますが、結局地域の特色、運営する人によって変わる。そういったものが各地域から出てくればアイデンティティになっていきます。
公約に入れさせて頂いた地域活躍職員はそういった発想で各地域における行政サイドのキーパーソンになれます。しがらみを抱えないよう本庁や各地域に異動になることがあったとしてもホームグラウンドは採用地域になる。合併後15年で旧市町で採用された職員が退職してしまったことも大きい。もちろん、大きな津市になってから入って頂いた職員の皆さんには様々な部署で活躍してほしいですが、各地域で活躍する職員もいてほしいという発想ですね。

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