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発達障害のリアルを当事者・専門家らが語る対談連載。発達障害は、生まれつき脳の発達が通常と違うために幼いうちから現れる様々な症状。出生率は数十人に一人と言われる。発達障害者の仕事や自立を、県内在住の当事者、浜野千聡さん(28)、Aさん(仮名・29歳男性)と、千聡さんの母・芳美さん(60)が語った(敬称略。聞き手は本紙記者・小林真里子)。
──お二人の仕事について教えてください。
千聡 喫茶店「ぽっカフェ」でレジ打ちをしたり、味ご飯を作ったり、そばをゆでてトッピングしたりしています。
A 大学の紹介で色々な仕事を体験させてもらい、その中で今の商品のパッケージ・配達の仕事が一番自分に合ったので就職しました。
芳美 娘は元々小学5年生の2分の1成人式で、「将来マクドナルド屋さんになりたい」「お店でレジがしたい」と書いていたんです。高等部の現場実習で色々な職業体験をさせてもらい余計にそう思ったのかなと。でも体験は体験にすぎず、体験先への就職には結びつかなかったので、それがちょっときつかったですけど。
最初に働いたB型事業所では車の部品のかしめ加工などを担当しましたが、初めの10カ月くらいは仕事をせず社内の保健室のような部屋でずっと寝ていました。当初は「お母さんは来ないで下さい」と言われてましたが、ある日、指導員の方に面談に呼ばれ「どうしたらこの子は働くようになるんですか」と聞かれました。その時、面談している部屋に娘が来て、たまたま商品のタオルが運ばれてきたので、それを畳みながら話すことに。私が指導員の方に「ところでこのタオルを1枚畳むといくらになるんですか?」と聞き「2円です」と教えてもらい、娘に「30枚くらい畳んだからいくら?」と聞いたら、「60円」と。娘はそのやりとりで働く意味、仕事と給料の繋がりを理解し、そこから頑張って働くようになりました。
さらに、小さい頃から「~ができたら丸」とほめていたので、事業所の人に頼み、娘が時間通りに出勤するなどしたら丸を記入する用紙を作って毎日丸をつけてもらったんです。そしたら、益々やる気を出しました。ただ部品加工は受注制の仕事なので受注がない時は全く違う作業に回され、娘は障害の特性によりその作業のにおいや音も苦手なので仕事に行きたくなくなってしまい、辞めたんです。
──お二人は現在、実家暮らしですが、実家以外で生活されたことはありますか?
A 前はグループホーム(以下GH)にいましたが、プライバシーがあまりなく、皆で一緒にご飯を食べたりする生活が、自分には合いませんでした。皆で生活することが苦じゃない人には良いと思うんですが、自分みたいに個人でご飯を食べたいという人には向かないと思います。
芳美 娘も一時GHで暮らしていましたが、皆と一緒に起きたりご飯を食べるのが苦痛だったんじゃないかな。GHを出た少し後から1年半くらいの間、「ピアサポートみえ」が津市内のマンションで運営している、ヘルパーにサポートしてもらいながら一人暮らしする生活が体験できる部屋を何度か利用し、「グループホームよりこっちのほうが良い」と言いました。そして今、亀山市内の買い物にも便利なアパートが空くのを2年以上待っていて、空いたらヘルパーに付いてもらい一人暮らしをしようと話しています。
──一人暮らしは、どういうところが楽しいと思いますか?
千聡 一人で好きな場所に行けるのが楽しいです。やっぱり、どこかに行きたいときに一人で(自由に)出かけられなかったら困ります。
──自立や一人暮らしには自炊も重要ですが、普段料理はしますか?
A 母からちょこちょこ習っています。
千聡 お母さんがいない時は一人で野菜炒めを作ったりしています。でも、いる時はお母さん任せ。一人暮らしするために、お母さんに料理を教えてもらいたいです。
──千聡さんの自立や将来について親としてのお考えを教えて下さい。
芳美 娘が最初に働いた事業所は良い条件が揃っていたのでこれでもう安心と思いましたが、やはり本人に合わない部分もありました。また、GHに入れたら良いと思っていたけど実際入れてみると違うんだなって。子供の性格や好みの生活スタイルがあるので、親の思いを押し付けても上手くいかない。だから、自分達が元気なうちに行政の自立支援事業などの情報を集めて色々なことを試し、娘が失敗したらいくらでもフォローをして、将来に繋げたいです。(次号に続く)
2020年3月12日 AM 4:55
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