ようやく見えた歩道(津市白山町三ケ野)

ようやく見えた歩道(津市白山町三ケ野)

地域愛を感じずにはいられない「中村町案内マップ」

地域愛を感じずにはいられない「中村町案内マップ」

三ケ野の集落の入り口にある道標

三ケ野の集落の入り口にある道標

入田古墳に眠る貴人に別れをつげた私は国道に戻る。少し歩くと近くに面白そうなものを発見。駆け寄ってみると「中村町案内マップ」と銘打った地図に、町内の名所が地図に写真付きで掲載されている。この辺りは特に観光地というわけではないので、これほど狭い範囲のマップは珍しい。これがどういう経緯で建てられたかは知らないが、地域の財産を多くの人に紹介しようという気概を感じる。それは町外から訪れる人はもちろん、地域に住む人たちにも向けられているのかもしれない。地域振興や観光戦略を成功させる原動力は、一人でも多くの地域住民が胸を張って地域の自慢ができるかだ。「私たちの地域は凄い」と本気で思える人の数だけ地域は豊かになっていく。これを建てた人たちもそんなことを願ったのかもしれない。
再び国道を進み、三重県営ライフル射撃場を越えると間もなく津市白山町三ケ野。相変わらず、歩道がほとんど無い。前の休憩場所から、それほど歩いていないが、車をやり過ごしていると神経が削られるので、思った以上に疲れを感じている。更に左足裏の痛みも加速。そこで国道沿いの農道に入り、農機小屋の前に座る。靴を脱いで水ぶくれを確認すると直径3㎝くらいまで膨らんでいる。どうりで痛いはずだ。時刻は11時半。少し痛みが落ち着くまで、10分ほど休むことに。
スマートフォンを取り出し、お気に入りの曲をかける。タバコを嗜まない私にとっての〝一服〟はコレ。優しい陽光が包むのどかな田園風景に、古内東子のしっとりとした歌声が宵闇の帳を下ろす。しばし、音楽に身を委ね、心を鎮める。
白山町三ケ野の集落の入り口付近には200年ほど前に建てられた道標が残っており、集落に入る道側の面には「右 みつ可乃道」、古くは七栗道と呼ばれた国道165号側の面には「左 はせ奈ら道」と刻まれている。スマートフォンを開けば自分がどこにいるか正確な位置が分かる現代と違い、正確な地図も無かった時代に、これほど心強い存在はなかっただろう。道標の周りには花苗が植えられるなど綺麗に手入れされており、先程のマップと同じく地域の愛と矜持を感じる。
とても個人的な話で申し訳ないが、この三ケ野にくるたびに、当社と同じビルに入居しているご縁で親しくして頂いているE社の才媛・Sさんの故郷であることを思い出さずにはいられない。山紫水明。集落を彩る豊かな自然が、誰からも好かれる天真爛漫(細かいことは気にしない豪快)な人柄を育んだのだろう。晴天を見上げながら、そんなとりとめもないことを考えていた。目的地は未だ彼方である。(本紙報道部長・麻生純矢)

コロナウイルスの影響で牛乳が余っていると聞いてから、少し多めに牛乳を買うようにしている。でも、そのまま飲んだりクリーム煮にしたりで、代わり映えのない使い方ばかり。
そこで頼ったのはネット。牛乳大量消費のレシピがたくさん出ている。その中から私が一大決心をして作ってみたのは、蘇(そ)。古代のチーズと言われる物である。奈良時代から作られていた贅沢な食べ物。貴族しか口にできなかったらしい。
どんな難しい作り方かと思ったら、ただ牛乳を煮詰めるだけだった。最初は強火で、その後弱火にしてコトコト。私はドラマを見ながら時々かき混ぜに行った。中火でも可能らしいが、鍋から離れると焦げつきそうだ。
一時間経っても牛乳の量はそれほど減らず、このまま飲んでしまおうかとも思った。それでも続けて二時間が過ぎたら、少しトロミが出てきた。それからは中火で、鍋底をこそげ取るようにかき混ぜながら牛乳が固まるのを待った。クッキー生地ぐらいの固さで終了し、ラップに包んだ。
冷蔵庫で冷やしてから食べてみた。懐かしのミルキーみたいな香り、牛乳だけとは思えない甘さ。そこにはちみつをかけて藤原道長風に、オリーブオイルと塩でイタリア風に。古代のチーズは濃厚極まりなく、疫病さえも押し返せそうに思えた。      (舞)

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