青山峠の電話ボックス

青山峠の電話ボックス

暗闇に浮かび上がる緑色のなにか(近鉄西青山駅前)

暗闇に浮かび上がる緑色のなにか(近鉄西青山駅前)

青山トンネルを抜けると、いよいよ伊賀市。時刻は17時45分。近鉄西青山駅まで残り3㎞ほど。間もなく日没ということもあり、ようやく市境を超えたにも関わらず、感動がまるでない。
市境を超えて間も無く心霊スポットとして名高い電話ボックスが登場。夜中に女の人が立っていたり、突然呼び出し音が鳴るといった噂話があるが、正直構っている心の余裕がない。流石に無視するのも申し訳ないので、おざなりに写真を撮り、前を通り過ぎる。
ここからは下り坂。しばらく歩道が続いていることは体力的にありがたい。しかし、そんな安らぎも束の間。すぐに歩道が途切れてしまう。
暗がりの中、ドライバーが私を見つけるのは至難の業。全く見えていないことを前提にしながら、これまで以上に神経を張りつめて進まなければならない。こんな時間に、こんな場所を歩いている人間がいるとは思うまい。少し先に車のヘッドライトの光が見えると、大きく避けた上で立ち止まる。これまで通りの動作だが体力と精神の限界が近づいているので同じことをするのもかなり辛い。だが、ゴールは目前。焦らず一歩ずつ進むのみである。
国道沿いの廃墟に目をやると、在りし日は飲食店や宿泊施設だったようだ。今では、人影すらない寂しい地域だが、ひと昔前は、こういった商売が成り立つ時期もあったのだと思うと、人の世の無常さを感じずにはいられない。道は多くの人々の思いが具現化した存在だと何度もお話しているが、この廃墟は、その道を行きかう人同士の交差点だったのだ。時代の流れと共に人々の価値観が変わり、交通手段と共に人の流れが変わり、無数の事象が流転するこの世界にあって、この道さえも不滅の存在では無く、人々に必要とされ無くなれば、あっという間に自然に飲まれてしまうだろう。そもそも私自身の生命でさえ、今この瞬間に存在しているということ以外は全く分からない。そう考えると、日が沈み暗闇の中で、踏み出す一歩すらも、とても貴重な経験に思える。
闇の外套をまとい、ヘッドライトの群れをいなしながら進み続けると、ようやく虚空に浮かぶ西青山駅の灯。その光景を撮影した後、無人の改札を通り、ホームに上がる。そこで一息つきながら、妻に無事を報告するために、撮影した写真をラインで送信する。すると、すぐに返信。「なにコレ…幽霊?」。慌てて写真を見ると、確かに国道の上に緑色の物体が3つ浮遊している。
さんざん心霊スポットを興味なさげに通り過ぎてきた私に対するあの世からのアピールなのかもしれない。そう言われたところで「カメラの暗所撮影モードのバグによるノイズだろう」と全く意に介さない訳だが…。
「次はここから名張駅まで歩こうかな」。ぼんやりと、次の行程を思い浮かべていると電車が到着。私はよろめきながら、電車に乗り込む。
この日の行程は、本居宣長の菅笠日記に記された一日目に近いというお話をしたが、彼はもっと先の阿保宿まで歩いている。完敗の一言だ。(本紙報道部長麻生純矢)