送迎がひと段落したある日、県内の総合病院から一本の電話があった。
「急なのですが、明日東京へ患者さんの搬送をお願いできませんか」。 40代の女性。事故にて外傷があるため安静を保たねばならず、陸路での移動が必要なのだという。ドクターの指示では、看護師も添乗して容体の変化に備えねばならない。
長距離はこれまでも経験があるが、ストレッチャーの長時間移動は空間も限られているため、患者にできるだけ負担をかけずに行わねばならない。ともすれば途中、渋滞の可能性もあり、休憩場所などを綿密に計画する必要がある。万が一に備えて、痰の吸引器や酸素なども用意し、搬送を引き受けた。
翌日、病棟へ行き、再度看護師と道中の打ち合わせを行う。幸い、年齢が若いこともあり発語もしっかりしていて、移動に耐えられそうだ。車は常に換気し、防護と消毒を徹底する。
気象条件や道路コンディションも悪くない。途中、看護師がバイタル(脈拍、血圧、体温、酸素量など)をチェック。後部の座席で患者と何やら話す声がするが、こちらには聞こえない。それが、かえって少し運転に余裕を持つことができ、神経を集中させた。
時間経過と共に、水分補給と軽食、服薬などするよう指示を受けている。トイレは、ストレッチャー乗降の時間ロスを考えて、車中でオムツ交換することにした。さすがに同じ体勢は負傷した患者につらく、背中などもさすって軽減させている。
そのうち、第二東名の車窓から富士山が見え「きれいですよ。そこから見えますか」と告げると、こくりとうなずいた。「やっとここまで来た。でも、まだこれからが本番」。我々も患者も同じことを考えていたに違いない。気持ちを入れかえて運転に専念する。渋滞をクリアできた時は、ほっとした。
都内に入るまで幾度となく進路を変更し、搬送先の病院がやっと目に入った。さすがに患者にも疲労の感があったが、そのとき目に一筋の涙が流れ、安堵したのか微笑みを見せた。
搬送先病院に道中異常がなかったことなどを告げ、患者の早い回復を願う。5時間半、我々と一緒によく頑張ってくれた。「この仕事をやっているからこそ」…つくづく思いながら、帰路についた。(民間救急 はあと福祉タクシー代表)