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奈良県桜井市吉隠(よなばり)。趣深く美しさを感じる地名で彩られたこの地は、大和国の最南端に当たる。国道165号のルーツである大和と伊勢を結ぶ伊勢街道(初瀬街道)沿いにあったため、江戸時代には長谷寺へ参詣する人やお伊勢参りへ行く人の往来でも賑わっていた。更に時代を遡ると都からほど近いこともあり、695年に持統天皇も御幸した記載も日本書紀に残っている。地名の由来は一帯に広がる初瀬谷の奥まった(隠れた)ところにある良い(吉)場所という意味があるらしい。
万葉集には、この地を詠んだ歌が収められている。
降る雪は あはにな降りそ 吉隠の 猪養の岡の 寒からまくに
現代語に訳すると、「雪よ、そんなに降らないで。吉隠の猪養の岡に眠る愛しい人が寒がるから」といったところだろうか。この歌を詠んだのは持統天皇の夫、天武天皇の息子である穂積皇子。歌に詠まれた彼の想い人は、同じく天武天皇の娘で異母妹である但馬皇女。そして、彼女は穂積皇子と自身の異母兄にあたる天武天皇の長子・高市皇子の妻であったとも言われている。持統天皇は彼らの母親ではない。ちなみに、彼女は夫の兄・天智天皇の娘で夫の死後に発生した後継者争いで自害することになった大津皇子は異母姉の息子にあたる。少し遡ると、壬申の乱で天武天皇に破れた大友皇子(弘文天皇)は持統天皇の異母弟である。かいつまんで説明しただけでも、登場人物たちの余りに濃密な血縁関係がお分かり頂けるだろう。
血を分けた者同士が文字通り血で血を洗う争いを繰り広げた時代。背徳の香りは漂うものの、亡き想い人への純粋な愛が込められたこの歌の存在が際立つように思う。猪養の岡と推定される場所は国道のすぐ北にある吉隠公民館付近で、この歌を刻んだ碑も建てられている。旅路が美しい物語に彩られていく。
また、吉隠は棚田も有名で、奈良県景観遺産に登録されている。地元住民によるプロジェクト会議のメンバーが休耕田を解消するために、棚田で取れる米を「吉隠米」としてブランド化している。国道沿いに広がる棚田は空の状態だが、心血を注いで手入していることが一目でわかる。万葉集に詠まれた景色は今も損なわれること無く美しさをたたえている。
スマートフォンで時間を確認すると、16時10分。目的地の長谷寺は、もう目と鼻の先とはいえ、冬季拝観の受付時間リミットの16時半までわずかしか時間が残されていない。だが、何度もお伝えしている通り、国道には危険がいっぱい。歩道も途切れがちで、片側しかない場所も多い。出来るだけ安全を確保するために、対向車線沿いの歩道に向かって、横断歩道のない場所を渡らなければならないこともある。ここで無理して事故をしては目も当てられない。こんな時こそ、焦らず、御仏のお導きを信じることにしよう。もし間に合わなくても改めて訪れれば良いだけ。
なんとか長谷寺の門前町にたどり着いたが、16時半まで残り数分…。
ちょうど紙幅が尽きたので、私が拝観時間に間に合ったかどうかは次回に譲ることとしよう。(本紙報道部長・麻生純矢)
2021年5月13日 PM 1:00
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