検索キーワード
2021年8月
『つたえたい想い』をモットーにした家づくりに取り組むのは「㈱川瀬建築」=津市安濃町前野=の川瀬泰弘さん(50)。
「家は買うのではなく、つくるもの」。若いころから大工として修業を積み、平成14年の創業以来、施主さんの思いを形にする自由設計の家づくりをしている。
大きな特徴は集成材は一切使わず、長い時間をかけて自然乾燥させた国産材を使用しているところ。おかげで世間で話題になっている輸入木材の高騰によるウッドショックの影響も受けず、安定した価格で住宅を提供。また、会社に営業マンや現場監督も置いていないので、その人件費が家の代金に上乗せされず、質の高い住宅を適正価格で提供できる。
普段見えない部分だが、全ての基本となる構造体には、とりわけ強いこだわりを持っており、しっかりと組み上げていく。
「ひと昔前は家づくりを始める前に、まず良い木を施主さんと大工が一緒に選んだ。今は何十年も暮すことになる家の構造体にこだわる人は思ったより少なくなっている」と話す。
しかし、良い木材を生かすも殺すも職人の腕次第。そして、その職人たちの指揮を執るのが家づくりのことを知り尽くした大工だ。川瀬建築では、大工である川瀬さんが選りすぐった腕利きの職人たちと共に細部にまでこだわった家づくりに取り組んでいるため、手掛けられるのは年間10棟迄。
目標は、着工棟数を増やすのではなく、国産の木を使った川瀬建築というブランドの更なる浸透。昔は腕利きの大工に家づくりを頼む時は『仕事がいっぱいだから2年待って』というようなやり取りは普通だったこともあり、「一生の買い物であるからこそ、2年待ってでも建てたいと思ってもらえるようになること」と笑顔。
将来の夢は、木をつかった家づくりを知り尽くした大工を育てる場をつくることだと語る。
問い合わせ☎059・268・3394。
2021年8月26日 AM 4:55
三重県内の医師・歯科医師1,830人で構成する保険医の団体「三重県保険医協会」は19日、三重県庁を訪れ、県知事宛ての「新型コロナウイルスに係る緊急要望書」を提出した。
新型コロナウイルスの新規感染者数が全国で過去最多を更新し、これまで経験のない最大の感染拡大「第5波」に直面している中、医療供給体制は全国各地でひっ迫の度合いを増し、国民の命と健康が脅かされている。
地域医療を守るべく医療従事者は日常診療と並行して、日々懸命にコロナ患者の治療に従事している。三重県においても8月20日に新規感染者数が388人を超え、感染拡大のスピードは早く、ピークアウト・収束が見通せない状況となっている。
同協会は、5月から7月にかけて、「新型コロナウイルス感染拡大の影響に関する緊急アンケート(第4弾)」と「新型コロナウイルスワクチン接種に関するアンケート」を実施し、会員医療機関の新型コロナウイルスに係る医療現場の実状把握に努めた。
また、「むし歯のある子ども」や「視力が低下した子ども」、「肥満傾向児・痩身傾向児」が増加しているとの医療現場からの報告もあり、昨年の全国一斉臨時休校に伴う生活習慣の変化や運動不足が児童・生徒の健康に影響した可能性も考えられ、その実態を把握するために2月から3月にかけて、県内の小中高等及び特別支援学校を対象に「医科学校健診後治療調査」と「学校歯科健診及び歯科治療に関するアンケート」を実施。
当日は、これらのアンケート調査結果をもとに同協会の宮﨑智徳会長、梅村忠司・鵜飼伸の各副会長から三重県医療保健部の井端清二副部長に要望書が手渡された。
要望内容は次の9項目
①県内の全ての医科・歯科医療機関に対して、減収補填策として支援金、給付金の支給
②全ての医療従事者を対象とした新型コロナウイルス感染症対応従事者慰労金の給付の再度実施 ③新型コロナウイルスワクチン接種に協力する医療機関に対し、「新型コロナウイルスワクチン接種体制支援事業支援金」とは別に接種回数要件のない財政支援を実施 ④医療機関の業務負担軽減のため、ワクチン接種に関する行政窓口体制の強化
⑤ワクチン接種による健康被害につき、公的責任を明確にするため「予防接種健康被害救済制度」について、幅広く県民に周知する
⑥非常事態時に歯科医師がワクチンを接種することを認めるための法的根拠を明確にするように国への要請
⑦今秋に開幕する三重とこわか国体・とこわか大会(全国障害者スポーツ大会)の開催を中止
⑧三重県保険医協会が実施した「医科学校健診後治療調査報告」及び「学校歯科健診及び歯科治療に関するアンケート調査報告」を県教育委員会はじめ関係各所と情報共有し、学校健診後・学校歯科健診後の受診率につき、各市町から県教育委員会へ報告されるシステムの構築
⑨子ども医療費助成制度の対象範囲を、通院・入院を含め義務教育修了(中学校卒業)までに拡大し窓口負担を無料化
これに加えて「三重とこわか国体・とこわか大会」の開催中止を強く求める要望書を県知事、県議会各会派、各市町長、地元選出の国会議員に提出した。
2021年8月26日 AM 4:55
羽根を休めて少し寛いだので、次は伊賀国を訪ねて見よう―と。ソーレ!
伊賀街道(津─伊賀上野50㎞)は、ほぼ現在の国道163号線になるのでその上を飛んで行こう。伊賀国は四方を山に囲まれた盆地、忍者の里です。忍者と言えば今では世界中の人が知っています。江戸時代に伊賀伊勢津藩祖藤堂高虎は伊賀上野から津に至る街道を二つ作っています。伊勢別街道と伊賀街道です。今日はあの伊賀越えの傍をね。この街道は参宮の旅行は勿論のこと水産物、塩、綿や種油が往来し、経済と生活に大きな役割を持っていました。
伊勢湾から吹いてくる風と太陽の光が私を伊賀国に運んでくれます。迷路のように入りくんだ複雑な谷と里山の丘陵が見えてきました。あっ、前方に甲賀の飯道山が現れ、この下に765mの霊山があります。飯道山は甲賀忍者の祖役小角が不動明王を本尊としているお寺があります。霊山はかつては最澄が創建したお寺がありました。伊賀忍者の修行の地です
古来より豪族の末裔の武士、修験者(山伏)、渡来人たちの教養と情報集めと採鉱冶金術を持つ技術集団が住み着いた地です。伊賀は元々は東大寺の荘園でしたがやがて荘園領主(寺院、貴族)に対抗する悪党(自力で国をおさめる共和制の自治体)が技術集団と結び付き、独自の山岳ゲリラ術(忍術)を身につけます。ある者は地侍となり、ある者は忍者となって行きます。火を巧みに操り、薬草の知識や剣術を持ちました。すご~いなあ。伊賀は「惣国一揆」(自治共同体)、甲賀は「郡中惣」(自治体)の組織を作って大名に対抗しました。伊賀忍者の大親分は服部半蔵です。織田信長の天正の乱(1579年)で忍者達はこてんこてんにやられて全国に散らばりました。信長が天正十年(1582年)に本能寺の変で自害すると堺見物をしていた徳川家康は伊賀と甲賀の忍者二百人に守られて世にいう生涯最大の苦難〝伊賀越え〟で助けられています。江戸時代に家康はこの忍者達に感謝して甲賀与力、伊賀同心にしています。服部半蔵正成は「鬼」と呼ばれるほど活躍し、徳川家の天下統一に貢献しています。当時のはやり歌に「徳川殿はよい人持ちよ。服部半蔵は鬼半蔵、渡辺半蔵は槍半蔵」と唄われたそうです。
忍者の仕事はあらゆる分野に通じて各地からの情報収集をする事です。火を操って合図の狼煙、鉄砲、火玉、火矢を作り出します。普段は農民と同じく野良着で山里で田畑を耕しています。午前中は家業を行い、午後は技を磨きます。忍者は心の安定と恐怖心を取り除く為に自分は大丈夫という呪文「オンアニチマリシェイソワカ」を心の中で唱えて印を結びます。忍者のトラベルグッズは編み笠、鉤縄、石筆、三尺手拭い、打ち竹、針を常に持って出かけます。そして甲賀伊賀の地は薬草の宝庫です。病気や傷を治す薬を作り、薬の行商人などに姿を変えて各地に情報集めに出かけます。甲賀は薬品の発祥の地。現在は甲良町付近に良い製薬会社が沢山建っています。
さて、田畑の広がった場所に着きました。黄金色の稲穂がびっしり。ブランド品の伊賀米です。伊賀の田圃は独特で、粘土質の泥田から美味しいお米が実ります。元は400万年前の琵琶湖の底の土地から出来ています。琵琶湖は三重県西部の上野盆地に誕生した窪地(大山田湖)で幾多の断層活動等によってこの窪地はやがて大きくなって約40万年前に今の琵琶湖になりましたが、今もなお移動中。琵琶湖も旅行中です。
伊賀の国を訪ねて、今の平和な日本の中で生きる意義を知り、自分を見つめ直す機会をもらったように思いました。
さあー、もう周りはすっかり暗くなり、忍者の姿も見えないし分からなくなりました。もう お家に帰ろうーと。
(全国歴史研究会、三重歴史研究会、ときめき高虎会及び久居城下町案内人の会会員)
2021年8月26日 AM 4:55