2021年8月

大神神社の門前町

大神神社の門前町

藤原京大極殿跡から仰ぎ見る香久山(手前の山)

藤原京大極殿跡から仰ぎ見る香久山(手前の山)

7月6日9時半頃。奈良県桜井市の近鉄桜井駅に降り立った私は前回の中断地点まで戻る。月並みだが、国道165号を終点から始点に向かって遡る旅も思えば遠くまできたものである。旧の国割で考えると伊勢、伊賀、大和の三国にまたがる旅路。ここから先は、今までプライベートでも訪れたことがないため、私にとっては文字通り未知となる。どこまでいけるかは分からないが、肩ひじ張らずいけるところまで行く。要するに「いつも通り」である。できれば奈良と大阪の県境を越えたいと思いながら歩き始める。
建物が密集していた桜井駅近辺から離れるにつれ、田舎の風景が広がる。歩道は途切れ途切れで、交通量はかなり多いため、安全第一で焦らず、車を一台一台やり過ごしながら進む。
少し歩くと桜井市と橿原市へ。その名の通り、最初の天皇である神武天皇をまつった橿原神宮が市のシンボルである。20分ほど歩くと「香久山交番」という看板が立てかけられている。それを見た私は、すぐに周囲を見渡し、それらしき山を探す。香久山といえば、そう百人一首に収められている持統天皇の歌「春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」でご存じの方も多いはず。耳成山、畝傍山と並び大和三山の一角を成す山である。
どの山かわからなかったため、安全な場所まで移動してスマートフォンの地図アプリで山の場所を確認する。少し見づらいが、それらしき小山が見える。古くから神聖な山として信仰を集め、多くの歌に詠まれた山であるが、平べったい小山で特段見栄えが良いわけでもない。
どうやら、国道からほど近い場所には持統天皇が築き、694年に遷都された藤原京の跡地があるようだ。国道からは少し距離があるので、この日は立ち寄らず、後日改めて訪れてみることに。すると、なぜこの山を持統天皇が歌に詠んだのかが少し理解できた。
持統天皇については以前も少しお話をしたことがあるが、彼女の父である天智天皇、そして夫である天武天皇の時代に、皇族同士の権力闘争が激化。血で血を洗う権力闘争を繰り広げた時代を生き抜いた女性である。彼女が他の女性天皇と一線を画す点は、自身が優れた為政者であったこと。時には非情な判断を下し、権力闘争を勝ち抜いた彼女のことを強く賢い女性と捉えるか、したたかで冷酷な女性と捉えるかは人それぞれである。
藤原京の跡地は史跡として整備はされているが、門のあった場所に柱が建てられているのみで往時の景色は図面と照らし合わせながら想像するしかない。持統天皇が政務を行った大極殿の位置から香久山を仰ぎ見る。なるほど、彼女が毎日見上げていたこの山は、神聖な存在であると同時に、彼女にとって日常の象徴だったのではないかと感じる。深読みさえしなければ、彼女が詠んだ歌の内容は、季節が春から夏へと移り変わる様を香久山に干された白い衣を見て感じるというシンプルなもの。血なまぐさい政争を幾度となく乗り越えた彼女だからこそ、あえて歌に日常の貴さを詠み込んだのかもしれない。耳成山、畝傍山と共に古都を囲む香久山を見ながら、そんなことを考えていた。(本紙報道部長・麻生純矢)

復元ゴルフ 津城復元の会は2年ぶりに復元資金造成のためのチャリティーゴルフコンペを10月6日(水)一志ゴルフ倶楽部を貸し切りで開催する(大会実行委員長=馬場康雄さん、副委員長=原田日出夫さん)。今回で5回目。
因みに復元に寄せられた浄財は7月末現在で述べ2万2827名から4602万円余と第1次目標の1億円の半分5000万円に近づいている。
今回は朝7時45分スタートの部と9時スタートの部の2部制、定員各部20組。コロナ対策として最初の9ホール、ハーフ集計(=Wペリア、上限20ダブルパーカット)で各部ごとに順位を決め、プレー終了後、パーティーは無しで、表示された各部の順位の賞品を各自受け取り、帰宅してもらう方式で開催。全員に賞品あり。
参加は4人1組、または個人(主催者でグループ編成)。代表者および同伴者全員の住所・氏名・性別・年齢(順位確定に必要)・電話番号(携帯)を連絡。参加費は8000円でチャリティー1000円・プレー代・昼食(1ドリンク含む)・諸税を含む。前金制。
申込み・問い合わせは馬場康雄実行委員長へ、☎090・3257・7401。定員になり次第締め切り。

津市東丸之内の百貨店「松菱」は9月から来年3月にかけて、首都圏の百貨店で三重県内の食品業者を集めた「三重の食フェア」を開く。県の受託事業として、新型コロナで苦戦が続く業者の販路開拓を支援するだけでなく、松菱も業者とのつながりを深め、自社の品揃えを充実させる。百貨店が他百貨店で催事を開くことは全国的にも珍しく、「地域商社」という新たな役割を打ち出す取り組みに注目が集まる。

 

 

百貨店「松菱」(津市東丸之内)

百貨店「松菱」(津市東丸之内)

同フェアは、三重県から受託した販路開拓事業として松菱が首都圏の百貨店の食品売り場の一部や催事場を借りて行うもの。県内食品業者を募り、県内産の弁当、惣菜、菓子などを販売する。参加希望業者は、松菱に出店料を払う形だが、行政の補助が受けられるので、交通費などの出店コストが軽減されるのも特徴。出店先は日頃から松菱と付き合いがあり、協力を求めやすい首都圏の百貨店が中心。出店スケジュールは、9月1日から松屋銀座店=東京都=を皮切りにスタート。京王百貨店新宿店などで来年3月まで開催していく。
多くの客が訪れる呼び水となる物産展など、百貨店の催事は他売り場への集客目的でも開かれるため、同フェアのように他百貨店で開くという形は全国的に見ても非常に珍しい。参加する県内食品業者にとって、大都市との販路拡大になるのはもちろんだが、大都市の百貨店にとっても、地方の良質な商品を集めた催事を開けるのでメリットは大きく、松菱と商圏が重なっていないため競合にもならないという。松菱としても地元業者とのつながりを深めて自社の品揃えの強化が図れるだけでなく、同フェアでの売れ行きを参考にしながら県内業者と商品の共同開発も検討していく。
既存の考え方に捉われない新たな試みに対する反響は大きく、首都圏の百貨店の担当者や出店希望業者からの問い合わせも多数寄せられている。現在、東京、神奈川、埼玉の百貨店を中心に調整を進めている。更に、関西などの百貨店でも、同様の催事を開いていく予定。
全国的にも地方の百貨店は大型ショッピングセンターやネット通販の台頭で逆境が続く。三重県内でも、最大5店舗あった百貨店は徐々に姿を消し、今では松菱と近鉄百貨店四日市店を残すのみとなった。時代の流れを読んだ生存戦略を練っていく過程で、唯一県内に本社を置く百貨店である松菱は、地元に根付いた強固なネットワークを生かす立ち回りが求められる。そのような背景で企画された今回のフェアに色濃く打ち出されているのは「地域商社」としての役割だ。
政府が掲げる「地方創生」で地域が誇る物産などを地域外へと広く販売していく「地域商社」の存在はキーとして注目されているが、実践するためのハードルも高く、成功例は決して多くない。
地方の百貨店の新たな在り方と可能性を示す試金石となる今回のフェア。その成功と今後の展開が期待される。

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