〝ちちんぷいぷい〟はおまじないの言葉です。今はあまり使われなくなりましたが、子供に勇気を与えてくれる魔法の言葉です。
戦国時代を生きた武将たちの名言にそれぞれの人間性がかい間見えます。よく知られているのは織田信長の「是非に及ばず」(仕方ない)。信長の明智光秀への評価や死への覚悟が短い言葉で表されています。武田信玄は「人は城、人は石垣、ひとは堀、情けは味方、仇は敵なり」の人間関係の大切さを述べています。本田重次は子や孫への想いが溢れ出ており、妻への手紙に「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ」と、気短く頑固おやじですが、嫡男仙千代を想う父親の気持ちがにじみ出ています。そして築城の名人で安濃津藩主初代藤堂高虎の嫡男高次に送った手紙(1625年寛永二年八月三日付)には人生の羅針盤といえる言葉があります。「仁義礼智信、一つでも欠ければもろもろの道は成就しがたい」と述べています。郷士の身から七回も良き主君を求めた苦労人。それだけに言葉に重みが感じられます。仁(思いやり)、義(正しい道)、礼(礼儀マナー)、智(人や物事の善悪を正しく判断する知恵)、信(信頼)、のどれ一つ欠けても成功しませんよと伝えています。それはまるで愛情という花びら一つ一つに教えの栄養水をかけているように思います。更に高山公遺訓二百ヶ条九三には愛妻家であれと。「我女房に無情あたる者あり。大いに道の違いたる事なり。―略―」。 妻は宝物より大切です。妻に冷たい者は誰に対しても冷たい人間でしょう。お互いに想い合い、誠の心でいると福の神(幸せ)がやってくると述べています。さすが高虎公です。この理念を継いだ藤堂家の子孫は明治維新までの二百六十余年間に渡り安濃津藩(藤堂家)を守り領民と共に生き「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ」と言われるまでになったのです。
この教え(五徳)は儒教と武士道精神と和文化で作り出されたもので、今を生きる私達の道しるべと思います。
また、徳川幕府第三代将軍家光の乳母春日局は幼き家光がぐずったときに〝ちぢんふゅう、御代のお宝よ〟と言ってあやしたという説があります。「思いやり、いたわりの心をすべて持った人の価値のある次の将軍の貴方はこの世の宝物です。そのようなお方がちょっとした事でめそめそしてはいけません」と諭しています。
この言葉が言い換えられ、領民の間に伝えられて勇気、努力のおまじないの言葉になりました。私も小さい頃に坂道で転んで、足をすりむく怪我をしました。急いで家に帰り「おばあちゃん、血が出て痛いようー」と言うと、祖母は「ちちんぷいぷい、痛いの痛いのあっちのお山に飛んで行けー」とおまじないの言葉を言ってくれました。「ほら、もう治ったやろ。さあー、遊んでおいで」。私はもうすっかり痛かった事を忘れて友達の家に出かけたのを思い出しました。おまじないはすごいなぁ。心理治療まるで魔法みたいです。
更に明治期に大きな政治の転換期が行われて、近代化を推し進める中、経済面に大きな役割を発揮した一人の人物、即ち渋沢栄一は「真の幸福とは知識と徳を高め、自分を磨く事です。そして人々が共存し、国が共栄(繁栄)する事です。」と述べています。
このような先人達の経験に基づいた素晴らしい言葉やまじないの言葉は的確に我々に解りやすく、かつほっこりと教えてくれています。更に日本文化として繋がってきていると思います。日本っていいなぁ。
(全国歴史研究会・三重歴史研究会・ときめき高虎会及び久居城下町案内人の会会員) 〝ちちんぷいぷい〟はおまじないの言葉です。今はあまり使われなくなりましたが、子供に勇気を与えてくれる魔法の言葉です。
戦国時代を生きた武将たちの名言にそれぞれの人間性がかい間見えます。よく知られているのは織田信長の「是非に及ばず」(仕方ない)。信長の明智光秀への評価や死への覚悟が短い言葉で表されています。武田信玄は「人は城、人は石垣、ひとは堀、情けは味方、仇は敵なり」の人間関係の大切さを述べています。本田重次は子や孫への想いが溢れ出ており、妻への手紙に「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ」と、気短く頑固おやじですが、嫡男仙千代を想う父親の気持ちがにじみ出ています。そして築城の名人で安濃津藩主初代藤堂高虎の嫡男高次に送った手紙(1625年寛永二年八月三日付)には人生の羅針盤といえる言葉があります。「仁義礼智信、一つでも欠ければもろもろの道は成就しがたい」と述べています。郷士の身から七回も良き主君を求めた苦労人。それだけに言葉に重みが感じられます。仁(思いやり)、義(正しい道)、礼(礼儀マナー)、智(人や物事の善悪を正しく判断する知恵)、信(信頼)、のどれ一つ欠けても成功しませんよと伝えています。それはまるで愛情という花びら一つ一つに教えの栄養水をかけているように思います。更に高山公遺訓二百ヶ条九三には愛妻家であれと。「我女房に無情あたる者あり。大いに道の違いたる事なり。―略―」。 妻は宝物より大切です。妻に冷たい者は誰に対しても冷たい人間でしょう。お互いに想い合い、誠の心でいると福の神(幸せ)がやってくると述べています。さすが高虎公です。この理念を継いだ藤堂家の子孫は明治維新までの二百六十余年間に渡り安濃津藩(藤堂家)を守り領民と共に生き「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ」と言われるまでになったのです。
この教え(五徳)は儒教と武士道精神と和文化で作り出されたもので、今を生きる私達の道しるべと思います。
また、徳川幕府第三代将軍家光の乳母春日局は幼き家光がぐずったときに〝ちぢんふゅう、御代のお宝よ〟と言ってあやしたという説があります。「思いやり、いたわりの心をすべて持った人の価値のある次の将軍の貴方はこの世の宝物です。そのようなお方がちょっとした事でめそめそしてはいけません」と諭しています。
この言葉が言い換えられ、領民の間に伝えられて勇気、努力のおまじないの言葉になりました。私も小さい頃に坂道で転んで、足をすりむく怪我をしました。急いで家に帰り「おばあちゃん、血が出て痛いようー」と言うと、祖母は「ちちんぷいぷい、痛いの痛いのあっちのお山に飛んで行けー」とおまじないの言葉を言ってくれました。「ほら、もう治ったやろ。さあー、遊んでおいで」。私はもうすっかり痛かった事を忘れて友達の家に出かけたのを思い出しました。おまじないはすごいなぁ。心理治療まるで魔法みたいです。
更に明治期に大きな政治の転換期が行われて、近代化を推し進める中、経済面に大きな役割を発揮した一人の人物、即ち渋沢栄一は「真の幸福とは知識と徳を高め、自分を磨く事です。そして人々が共存し、国が共栄(繁栄)する事です。」と述べています。
このような先人達の経験に基づいた素晴らしい言葉やまじないの言葉は的確に我々に解りやすく、かつほっこりと教えてくれています。更に日本文化として繋がってきていると思います。日本っていいなぁ。
(全国歴史研究会・三重歴史研究会・ときめき高虎会及び久居城下町案内人の会会員)