この日のゴール、近鉄南大阪線「上ノ太子駅」

この日のゴール、近鉄南大阪線「上ノ太子駅」

叡福寺境内にある「聖徳太子御廟」

叡福寺境内にある「聖徳太子御廟」

国道165号である南阪奈道はトンネル区間に入ってしまったため、追えなくなってしまった。国道と並走していた側道も方向が逸れ、木立の中へと続いていく。薄暗い雰囲気に少し不安になるが、しばらく進むと国道166号との合流点に出る。この国道は大阪府羽曳野市から松阪市を結んでおり、165号とも重複区間がある。近くの看板には竹内街道と書かれている。大和国(奈良県)と河内国(大阪府)を結ぶこの街道は、推古天皇の時代に整備された日本最古の官道、つまり国道。全長は30㎞ほどで、この付近は二上山の南麓の竹内峠にあたる。
166号に出て、165号と再び合流ができるポイントを探すために西へ進むと奈良県と大阪府の県境。ここから先は南河内郡太子町。国道を三重県、奈良県と遡り、ようやく大阪府。いよいよゴールが近づく実感がわいてくる。太子町はその名の通り聖徳太子御廟(古墳)があることに因んでいる。今まで一度も訪れたことのない町だが、今年は聖徳太子の1400回忌に当たるメモリアルイヤー。165号を遡る旅なので、ここにいること事態がイレギュラーに違いないのだが、津市には聖徳太子が建立したと伝わる四天王寺もあるので、ご縁を感じる。この辺り一帯は「王陵の谷」と称され、聖徳太子と合わせ、敏達・用明・推古・孝徳天皇陵がある。この5つの古墳を梅の花びらになぞらえ「梅鉢御陵」と呼ばれている。
太子町に入った私は国道を通り、一路、近鉄南大阪線の上ノ太子駅へ。太子町と羽曳野市の境目にあるこの駅には18時前に辿り着いた。約25㎞の道程で足は悲鳴を上げているので無事にゴールを迎えられて安堵する。
推古天皇が建立したと伝わる叡福寺の境内にある聖徳太子御廟には後日訪問。この寺は法隆寺や大阪の四天王寺と並んで、聖徳太子信仰の中核となった寺院で、空海、親鸞を始め、数多の名僧も訪れ、参籠した。日本大乗仏教の聖地として栄えたが、戦国時代に織田信長の兵火で消失。豊臣秀頼が聖霊殿を再建したことから伽藍が再興されて今に至る。
境内の一番の奥にある御廟には、聖徳太子だけでなく、その后と母も葬られている円墳の直径50メートル、高さ10メートルほどの円墳。私は教科書の聖徳太子の肖像画に落書きした不届きな思い出に後ろめたさを感じながら廟に黙祷を捧げる。
閑話休題。以前お話した私の犯したミスとは道を間違えてしまったこと。橿原市の畝傍山付近でこの日辿ったバイパスと本線が分離していたのだ。本線の標識は重複する166号表記が優先されていたので、165号と表記されたバイパスの方を選んでしまった。次回は、再び橿原市から本線を遡り大阪をめざす。旅の終りが少し伸びたことにささやかな喜びを感じている。これも聖徳太子のお導きかもしれない。(本紙報道部長・麻生純矢)