2021年12月

匠の技で仕立てられた表装作品を観る来場者

匠の技で仕立てられた表装作品を観る来場者

三重県表具内装組合連合会が主催する「第26回表具作品展─創造と伝承─」が11月20日・21日、アスト津5階ギャラリーで開かれ、大勢の観覧者が匠の技に見入った。後援=三重県、津市、(一社)三重県技能士会、本紙、ほか。
同連合会には県内19店舗が加盟。日本の伝統工芸である表装技術を継承しながら日々、技術の研鑽を重ねている。
作品展では、伝統に根ざしながらも令和の時代における新しい表現方法や素材を用いて、各店の制作者が自らが持つ最高の技術で創作した掛軸、屏風、額装など約50点を展示。
入口では掛軸の裏打ちの構造や各部位の分解・展開など、掛軸をよく知らない人でも理解しやすいよう解説、そこから展示会場へ。来場者は、書家の遊び心あふれる小品を2種類の着物裂で仕上げた作品や、丸表具をベースにアクセントを入れたモダンな作品、さらに津市一身田智慧光の天井画を手がけた絵師・南川朋宣氏の作品を三段表具に仕立てた「昇竜」、一茶の句の創作表具など、個性あふれる表現を楽しんだ。

整理収納ディレクターの佐治純子さん

整理収納ディレクターの佐治純子さん

佐治さんの初の書籍

佐治さんの初の書籍

整理収納ディレクター、じゅんこさんこと津市在住・佐治純子さんの初めての電子書籍「今度こそ大丈夫。あなたの『片づけられない』に寄り添う片づけ術」が、家事・生活の知識ベストセラー&アマゾン4部門で1位を獲得した。
佐治さんは、若い頃から片付けが苦手で、結婚後も変わらず、「主婦失格」と自己否定から3度のうつ病を経験。うつを発症すると「何もしたくない」と無気力・無関心に陥り、さらに自己否定が繰り返されるという悪循環に陥った。同時期に娘さんの反抗期も重なり、親子関係も悪化。散らかった部屋のベッドで電気もつけずにただ寝込んでいるだけ。頭痛、吐き気、体が重い、笑えない等々。そんな人生のどん底から救ってくれたのが「片づけのチカラ」。
2016年に整理収納アドバイザーの資格を取得、翌年に奮起して起業し、現在では自身の経験を生かしたユニークな片づけ手法と防災備蓄収納などのテーマで各企業や団体で講師を務めるまでに。個人宅を対象にした片づけも300件以上の実績を持つ。親子のかけがえのない時間も過ごせるようになった。
本書では「片づけられない女」から「片づけのプロ」に変身できた経緯と、出会った人々との尊い関係など自身の体験談を綴りながら、片づけのノウハウや心構えを分かりやすく伝えている。 「片づけを通して人生も変わります。『私なんて片づけできない』と思っていた私にできたのですから、あなたにも『自分だってできる!』と感じてもらえるように。悩みから少しでもやる気を起す本になれば幸いです。40代からでも、じゅうぶん生き方は変わります」と話す。
Kindle版税込み1100円で販売中。現在、紙書籍発売準備中。整理収納サポート新コース(整理収納×お掃除プラン)も人気。詳しくはjunkosan.com☎080・3618・5659へ。

この日のゴール、近鉄南大阪線「上ノ太子駅」

この日のゴール、近鉄南大阪線「上ノ太子駅」

叡福寺境内にある「聖徳太子御廟」

叡福寺境内にある「聖徳太子御廟」

国道165号である南阪奈道はトンネル区間に入ってしまったため、追えなくなってしまった。国道と並走していた側道も方向が逸れ、木立の中へと続いていく。薄暗い雰囲気に少し不安になるが、しばらく進むと国道166号との合流点に出る。この国道は大阪府羽曳野市から松阪市を結んでおり、165号とも重複区間がある。近くの看板には竹内街道と書かれている。大和国(奈良県)と河内国(大阪府)を結ぶこの街道は、推古天皇の時代に整備された日本最古の官道、つまり国道。全長は30㎞ほどで、この付近は二上山の南麓の竹内峠にあたる。
166号に出て、165号と再び合流ができるポイントを探すために西へ進むと奈良県と大阪府の県境。ここから先は南河内郡太子町。国道を三重県、奈良県と遡り、ようやく大阪府。いよいよゴールが近づく実感がわいてくる。太子町はその名の通り聖徳太子御廟(古墳)があることに因んでいる。今まで一度も訪れたことのない町だが、今年は聖徳太子の1400回忌に当たるメモリアルイヤー。165号を遡る旅なので、ここにいること事態がイレギュラーに違いないのだが、津市には聖徳太子が建立したと伝わる四天王寺もあるので、ご縁を感じる。この辺り一帯は「王陵の谷」と称され、聖徳太子と合わせ、敏達・用明・推古・孝徳天皇陵がある。この5つの古墳を梅の花びらになぞらえ「梅鉢御陵」と呼ばれている。
太子町に入った私は国道を通り、一路、近鉄南大阪線の上ノ太子駅へ。太子町と羽曳野市の境目にあるこの駅には18時前に辿り着いた。約25㎞の道程で足は悲鳴を上げているので無事にゴールを迎えられて安堵する。
推古天皇が建立したと伝わる叡福寺の境内にある聖徳太子御廟には後日訪問。この寺は法隆寺や大阪の四天王寺と並んで、聖徳太子信仰の中核となった寺院で、空海、親鸞を始め、数多の名僧も訪れ、参籠した。日本大乗仏教の聖地として栄えたが、戦国時代に織田信長の兵火で消失。豊臣秀頼が聖霊殿を再建したことから伽藍が再興されて今に至る。
境内の一番の奥にある御廟には、聖徳太子だけでなく、その后と母も葬られている円墳の直径50メートル、高さ10メートルほどの円墳。私は教科書の聖徳太子の肖像画に落書きした不届きな思い出に後ろめたさを感じながら廟に黙祷を捧げる。
閑話休題。以前お話した私の犯したミスとは道を間違えてしまったこと。橿原市の畝傍山付近でこの日辿ったバイパスと本線が分離していたのだ。本線の標識は重複する166号表記が優先されていたので、165号と表記されたバイパスの方を選んでしまった。次回は、再び橿原市から本線を遡り大阪をめざす。旅の終りが少し伸びたことにささやかな喜びを感じている。これも聖徳太子のお導きかもしれない。(本紙報道部長・麻生純矢)

[ 9 / 12 ページ ]« First...7891011...Last »